読んだ本と振り返る2021年

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FIREに対する違和感をきっかけに

投資をめぐる2021年の奇妙なキーワードのひとつは、
FIRE(Financial Independence and Retire Early)”だろうか。
たしか今年の春頃からよく目にするようになった。

しかしそこには「株式への長期投資で必ず資産を殖やすことができる」
という幻想が込められていないだろうか?

その幻想の前提は「人間社会が継続的に進歩していく」ことであり、
それは「進化論の曲解」からはじまっているのではないか?

そして資本主義は今までどおり続いていくのか?

というような探求を楽しんだ。

またFIRE達成者の具体例として、投資歴10年程度の方も登場するのが気にかかる。
株価の暴落(2020年春は急回復したので対象外)や、長期低迷を経験せず、
上昇相場しか知らないまま、早期リタイアを選択していいのだろうか?

そんな疑問がリーマン・ショックを振り返るきっかけを与えてくれた。

この本が今年一番印象に残った一冊かもしれない。

ちなみに私自身は30代前半にFIREを実践するも挫折し、
半隠居的な白楽天流の「中隠」をよしとする生き方に路線変更している。

古典読書の数珠つなぎ

禅から遊へ

今年の読んだり読み直したりした古典を振り返ると、

夢中問答集は入門書を購入したのをきっかけに再読。
難解な箇所も多いが、手に取るたびに発見のある一冊。

そして捨てること、手放すことの大切さを説いた古典繋がりで、
「捨聖」とも称された、踊り念仏の一遍上人の語録も読み直したりした。

今年、初めて読んだ、セネカ怒りについて」は、

と指摘しているし、善悪の境界を引いたところでロクなことにならない

迷いかけたら、とにかく捨てて、思うがままに進むのが吉。
思うがままに生きるために重要なのは、もちろん「遊」の心。

そうなると「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」の再読へと立ち返る。

今回の再読でオルテガ「大衆の反逆」との関連にも気が付くことができ、
またNHK「100分de名著」のおかげで、ル・ボン「群集心理」も初めて読んだ。

資本主義の未来を考えるために

先のブランコ・ミラノヴィッチ「資本主義だけ残った」を起点に、
民主制と独裁制の対比を描いた、ヘロドトス歴史」の再読へ。

ヘロドトスと言えば、富と幸福を描いた一節を外すことはできず、

そこから「ニコマコス倫理学」と結びつき、アリストテレスの貨幣論にも出会った。

古典は自らの思考の歪みを映す鏡か?

最後に幾度も読み返している愛読書「徒然草」。
古典は読み手の現在地に合わせて、見せる表情を変えることがある。

道に迷っている時、古典は新たな考えを与えてくれる存在だが、
迷いがなくなると、自らの考えの裏付けに使ってしまうのだろうか。

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