投資家必読の一冊! 奥村宏「資本主義という病」

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株式投資の未来になんとなく不安を感じている。
21世紀は上場維持のコストがうなぎ昇りの時代だから。
最近では金融庁が主導となり、

が導入されることで、さらなる負担が上乗せされる。
管理部門が肥大化は現場の思考力低下につながりがちだし…
将来有望な企業が上場を選択することが少なくなるのでは?

という投資哲学を形成した私にとって死活問題。
積立投資で資産形成という投資家も影響を受けるだろう。

私が考えているよりも事態は深刻なのかもしれない。
半世紀以上にわたる株式会社研究を総括した、

  • 奥村宏資本主義という病

資本主義という病

は投資家必読の一冊と言えるだろう。
多数の経済書を引用しながら、株式会社の病巣に迫る。

すでにアダム・スミス(1723~1790)が「国富論」の中で、
株式会社の仕組みを批判しており、

  • 株主は有限責任であるために、会社から受けとる配当金のことしか考えず、会社の業務に関心がない。
  • 株式会社の経営に当たる取締役は自分自身のカネを投下するのではないから無責任になる。

との指摘が顕在化したのが現代。

アダム・スミスの時代には、企業は比較的小さく、自分たちが与えたどんな損害にも責任を取れる個人が経営するのが普通だった。一方、今日の企業は巨大な組織であり、数万人の従業員を擁するものもある。会社の方針を決断するのは企業内の個人だが、そういう個人はたいてい、その決断がもたらす率直な責任をとろうとしない。良い決断から生まれる利益の増加分をすべて手に入れることはめったにないが、悪い決断による社会的コストをきちんと支払うことはそれ以上にまれなのだ。」(ジョゼフ・スティグリッツ「世界に格差をばらまいたグローバリズムを正す」2006)

日本では刑法上「法人に犯罪能力がない」から、
たとえば東京電力の福島第一原発を巡る裁判でも、
旧経営陣への刑事責任については不起訴処分となった。

有限責任の下では、自分以外の株主が誰であるかを気にする必要はない。・・・企業の債務の取り立てが株主に及ばないのだから、自分が一番金持ちの株主であろうと、一番貧乏な株主であろうと問題は生じない。だからこそ数多くの企業に投資しながら、どの企業にも注意の目を向けずにいられるのである。」(ローレンス・ミッチェル「なぜ企業不祥事は起こるのか」2005)

私たち投資家は「分散投資」で資産防衛を図るが、
そこで軽減されたリスクは社会全体に転嫁されている。
AIGや東京電力が税金で救済されたのが良い例だ。

著者はこうした仕組みの中で、
企業が社会的責任を主張するなどおかしな話で、
たとえば過去にCSR活動が流行したのは、
株式会社の危機の表れであると指摘している。

おそらく冒頭に紹介した金融庁の2つのコードも、
著者に言わせれば、株式会社の制度崩壊を食い止めるため、
金融界が必死になってテコ入れしているということか。

未来への著者の処方箋は、

21世紀のいま、必要なことは、巨大会社に代わる新しい企業を作っていくことですが、それには、まず、現在の巨大株式会社を解体することが必要です。

ちひさきものはみなうつくし
ではないけど、私も企業は小さい方がいいと思う。
30代になって初めて大企業と接点を持つようになって、
意思決定の遅さや無駄の多さに衝撃を受けたから。

そのうえ著者の指摘するように、
巨大化した株式会社が無責任な暴走をする宿命にあるなら、

  • 20世紀初めのスタンダード・オイルの解体
  • 第二次大戦後の財閥解体

のような歴史を繰り返すのかもしれない。
その時、証券市場は今の形を保っているのか?
投資家であれば一度は考えておくべきだろう。

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コメント

  1. kk より:

    資本主義の病と言いつつ、中身は株式会社という社会制度の病なんじゃ?
    資本主義の祖、アダム・スミスの国富論の時点で指摘されてることを再検証してわざわざ資本主義者を敵にまわすような命名はミスリーディングだと思う。
    ストレートに株式会社制度の病にすればいいのに。

  2. まろ@管理人 より:

    ご指摘のとおり「株式会社という病」とした方が、この本のタイトルとしてふさわしいですね。
    ただ書籍のタイトルというものは著者ではなく出版社が決めることが多いらしく、「資本主義」にした方が売れそうだから、という程度の感覚で付けられたのだろうと思われます。