岩波文庫の兼利琢也訳、セネカ「怒りについて」を読んだ。
セネカの著作のなかで「対話篇」と呼ばれる全12巻の作品があり、
- 第1巻「摂理について」
- 第2巻「賢者の恒心について」
- 第3,4,5巻「怒りについて」
- 第6巻「マルキアに寄せる慰めの書」
- 第7巻「幸福な生について」
- 第8巻「閑暇について」
- 第9巻「心の平静について」
- 第10巻「生の短さについて」
- 第11巻「ポリュビウスに寄せる慰めの書」
- 第12巻「ヘルウィアに寄せる慰めの書」
こうしてリストを眺めると「怒りについて」への思い入れを感じる。
セネカは怒りを「不正に対して復讐することへの欲望」と定義づけ、
「われわれが怒りっぽくしているのは、無知か傲慢」なのだから、
「不正に報復するのは、しばしば何のためにもならないどころか、口に出すことすらためにならない。」
と諭し、
「復讐とは、受けた苦痛の告白に過ぎない。不正に撓められる精神は、偉大ではない。傷つけた相手にあなたより強力か、あなたより弱いかだ。弱いなら、彼を許してやって、強力なら、あなた自身を許してやれ。」
人間が怒りにとらわれることの無意味さを淡々と説いていく。
そして怒りを捨てるために必要な心がけとして、
「心に平和を与えようではないか。それをもたらしてくれるのは、健全な勧告のたゆまぬ省察、善き行いの実践、ただ高潔さのみを追求する真剣な心である。己の心を満足させることを心がけ、世の評価に対して骨を折るのはよそう。」
「まるで永遠に生きるために生まれたかのように、怒りを宣言し、束の間の人生を霧消させて、何が楽しいのか。気高い喜びに費やすことが許されている日を、他人の苦痛と呵責へ移して、何が楽しいのか。君の財産には損失の余地はなく、むだにできる時間はない」
これらは第9巻「心の平静について」、 第10巻「生の短さについて」で、
詳細な解説を加えてゆく、という構成になっているようだ。
効率を追求する社会の中で、ちょっとした待ち時間にも耐えられなくなり、
またソーシャルメディアの広がりとともに社会から寛容さが失われ、
さらにはウイルスに行動制限を強いられたりで、怒りを抑えられない人は数多い。
しかしローマ帝国初期の悪名高き皇帝、カリグラやネロの時代に、
政治家として翻弄されたセネカが、怒りを抑えようとしているのだ。
それに比べたら、いまの私たちが怒りに囚われずに生きることなど容易なはずだ。
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