ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」を要約・編集

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ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」を久しぶりに読み直したので、
頭の整理を兼ねて、要約・編集を試みた。

人間文化の根底には「遊び」があるならば、
今の社会で、危惧すべき状況は何か? 破綻する仕組みは何か?
「遊び」の観点から考察できるのではないか。
そんなことを頭に入れて、読み進めるとおもしろい。

そもそも「ホモ・ルーデンス」とは?

  • ホモ・サピエンス(人類) ※サピエント :知恵のある“sapient”
  • ホモ・ファベル(作る人) ※ファベル :作る“fabula”
  • ホモ・ルーデンス(遊ぶ人) ※ルーディック :遊びの“ludic”

ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」のまとめ

ホイジンガの定める「遊び」の形式的な特徴は、

  1. 自由な行為(命令された遊びは遊びではない)
  2. 仮構の世界(ありきたりの生活の外)
  3. 場所的、時間的な限定性をもつ(定められた時間と場所の範囲内で行われ、終わるもの)
  4. 秩序を創造する(規則が犯されると同時に崩壊する)
  5. 秘密をもつ(小さな秘密を作ることで魅力を高める)

機能面から見れば、

  1. 何かを求めての闘争(競争
  2. 何かを表す表現(演技

このふたつを兼ね備えるものとして「祭祀」をあげる。

文化を創出する原動力の起源は神話と祭祀のなかにあり、
その発生には遊びとしか名付けないものがあるのだから、

「人間文化は遊びのなかにおいて、遊びとして発生し、展開してきた。」

「文化は原初から遊ばれるものであった。」

「文化は遊びとして始まるのでもなく、遊びから始まるのでもない。遊びのなかに始まるのだ。」

であり、
ゆえに私たちはホモ・ルーデンス(遊ぶ人)という話になる。

遊びは真面目さ、厳粛さ、神聖さを伴ったフェアなものでなければならない。
そして秩序(ルール)を守る心の余裕が、文明の豊かさに繋がってゆく。
はたして現在の文化はこのような品位を保っているのだろうか?
そう問いかけることが、ホイジンガの意図だったのではないか。

オルテガ「大衆の反逆」との関連?

ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」は1938年の刊行。
今回読み直してみて、オルテガ・イ・ガセット大衆の反逆(1930年)
と繋がるような記述があることに気が付いた。

ホイジンガは当時の人々の間に広がっていた、
下記のような文化現象を「小児病」と名付けて危惧していた。

  • ユーモアの感覚の欠如
  • 反感を秘めた言葉、ときには愛情を込めた言葉に対しても、誇張的な反応の仕方をすること
  • 物事にたちまち同意してしまうこと
  • 他人に悪意ある意図や動機があったのだろうと邪推して、それを押しつけてしまうこと
  • 他人の思想に寛容でないこと
  • 褒めたり、非難するとき、途方もなく誇大化すること
  • 自己愛や集団意識に媚びる幻想に取り憑かれやすいこと

「これら小児病的特徴の多くは過去の各時代のなかにもおびただしく見出されるものではあるが、何といっても今日の公共生活のなかに広まっているように、それが膨れあがってマス化したり、残酷さと結びついたりしたことはなかった。」

オルテガが危惧した、美学や道徳律も持たない「大衆」に似ている。
1922年にイタリアでムッソリーニ、33年にドイツでヒトラーが政権を取る、
という時代背景から生まれたものなのだろう。

そして現代のSNSを震源とした眉をひそめるような動きともつながり、
二冊とも今読むべき古典の代表と言えるだろう。

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