臼井隆一郎「コーヒーが廻り 世界史が廻る」

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rennyさんとのポッドキャスト収録で紹介した、
臼井隆一郎コーヒーが廻り 世界史が廻る」。

情報をつなぐ場が新たな産業を生み出したり、
ひとつの事業に集中することのリスクなど、
経済を観察する上での様々な気付きが得られる良書。
投資家のみなさんにはぜひ手にとってほしい一冊。

以下はポッドキャスト内で紹介した内容に加えて、
本書の中で私が面白いと思った部分をピックアップ。

イスラム世界で広がるコーヒー

  • 飲むと興奮し眠れない、食欲がなくなるといった負の側面を、眠ることを禁忌としたイスラム神秘主義の僧侶スーフィーが好んで飲んだ。
  • 1554年、トルコのイスタンブールに初めてのコーヒー店がオープン。コーヒーは浮世離れしたスーフィーの手から社交の場へと進出。瞬く間に珈琲店はオスマン・トルコ帝国の全土に広がる。
  • 地中海貿易を通じてヨーロッパへ伝わり、1652年、ロンドンにもコーヒー店がオープン。

体に悪いイメージやコーランで炭を食べることが禁忌だっため、
イスラム世界ではなかなか広がらなかったコーヒーだが、
ヨーロッパでは割とすんなり受け入れられた。

17世紀のヨーロッパで朝の飲み物と言えばビールかワイン。
お酒よりも頭がスッキリするコーヒーの方が好まれたのだ。

情報をつなぐコーヒー

  • ロンドンでは政治家、思想家、科学者、船乗りなど様々な客が出入りし、コーヒーカップ片手に下記のような情報交換をする場となった。
    • ピューリタン革命~王政復古の政治討論
    • 集まってくる多種多様な情報を新聞として発行→新聞社のはじまり
    • 航海情報をもとにした保険業者の会合→保険会社のはじまり
    • 株価情報の伝達と株式売買の仲介→証券会社のはじまり
    • 科学知識の情報交換
  • 当時のロンドン市民の熱狂ぶりは、1680~1730年にコーヒーを世界一消費した街がロンドンだった、ということに現れている。
    コーヒー店に行けば、様々な専門家の生の情報が手に入る。
    情報をつなぐコーヒーは、現代のGoogleのような役割を果たしていた。

フランス革命やナポレオン失脚の裏にもコーヒー

  • フランスにコーヒーがやってきたのはルイ14世の時代(1643~1715)。
  • 王室に不満を持った革命家がカフェで激論を交わし、「カフェ・ド・フォア」でのカミーユ・デムーランの演説をきっかけに、バスティーユ牢獄を襲撃。
  • 皇帝に即位したナポレオンはイギリス経済に打撃を与えるために大陸封鎖令を発令(1806年)。しかし海上貿易の支配者イギリスはコーヒーや砂糖の交易を独占。コーヒーの欠乏がドイツ人を対ナポレオン蜂起に駆り立てたとカール・マルクスが指摘している。

ちなみに体に悪いとたびたび指摘されるコーヒーに、
豊穣と清純のシンボルである牛乳をまぜればいいじゃないか!
と当時のフランスで生まれたのが「カフェ・オ・レ」。

コーヒーに全振りのブラジル経済の失敗

  • 大陸封鎖令に従わなかったポルトガルをナポレオンが攻め滅ぼし、ポルトガル王ジョアン6世は一時的に首都を植民地のブラジルに移す。ナポレオンの死後、ジョアン6世は本国に帰還するが、その息子ペドロ1世はブラジルに残り、独立国家を設立。
  • 独立後のブラジルはコーヒー豆の生産に力を入れ、世界生産に占めるブラジル豆のシェアは、1850年は50%超、1910年代には75%以上。ブラジル国民の90%がコーヒー産業に携わり、外貨収入の90%以上をコーヒーに頼っていた。
  • アメリカで禁酒法が制定(1919年)されたことでコーヒーブーム到来。ブラジルはさらに稼ごうと、コーヒー栽培を拡大。新たに植えられた木々が収穫を迎えた頃に世界大恐慌がやってきてしまう。

オマケでブラジルは20世紀末にチョコレートでひどい目に遭う。
こちらは単一品種のカカオを大量生産していたため、
カカオの木に感染した天狗巣病が一気に広まってしまい大打撃。

ブラジルは1989年には世界第2位のチョコ生産国だったが、
わずか4年後にはチョコレートの純輸入国に転落してしまう。
茶色と集中投資にツキがないブラジルなのだった。

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