引き続き、池谷裕二「夢を叶えるために脳はある」に収録された、3日間の講義録のうち3日目を読み終えてメモ。
私たちにはなぜ脳があるのか? 私たちの存在価値は何なのか?
池谷氏の解説が衝撃的な内容だった。
池谷氏の解説が衝撃的な内容だった。
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私たちの脳は体重の2%ほどしかないのに、全身のエネルギー消費の20%を占める。なぜこんな非効率な生命が存在するのか?
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生命の存在は一見すると、エントロピーの増大、秩序から無秩序へ流れる宇宙の法則に反しているように見える。しかし生命が存在することで、エントロピーの増大がより加速する効果がある。
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脳を持っている生命の方が、自然を効率よく、大規模に破壊できる。脳はエントロピー増大に大きく寄与している。
人類による環境破壊は宇宙の法則に従うものだった。視点を変えるとこんな考え方ができるのか!
また視点を変えるという観点で一番気になった論文は、
この世界は優れた知性を持った未来人(ポスト・ヒューマン)の、コンピュータ・シミュレーションである可能性を説いたもの。私たちがそのような知性を持つ前に絶滅する可能性を排除すれば、未来人は知的好奇心を抑えられず、シミュレーションを実行するはず。(ソードアート・オンラインのアンダーワールドみたいな感じか…)
3日間の講義で池谷氏が好きな和歌として、古今和歌集のよみ人知らずの一首を何度か紹介していた。
世の中は 夢かうつつか うつつとも 夢とも知らず ありてなければ
この世は夢か現実(うつつ)か分からない。たしかに「ある」ようにも見えるけど、いつかは「なくなる」もので、もしかすると、そもそも「なかった」のかもしれない。
脳科学の研究者にこの歌が響くとは、なんとも興味深い。
オマケで古今集には夢と現実のあいだを詠んだ歌が11首ある。
収録順に詠むと(449,558,641,645,646,647,656,658,834,835,942)、編集者が込めた想いのようなものが浮かび上がってくる。
収録順に詠むと(449,558,641,645,646,647,656,658,834,835,942)、編集者が込めた想いのようなものが浮かび上がってくる。
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うばたまの 夢になにかは なぐさまむ うつつにだにも あかぬ心を
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恋ひわびて うち寝るなかに 行きかよふ 夢の直路は うつつならなむ
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ほととぎす 夢かうつつか 朝露の おきて別れし あかつきの声
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君や来し 我や行きけむ 思ほえず 夢かうつつか 寝てかさめてか
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かきくらす 心の闇に まどひにき 夢うつつとは 世人定めよ
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むばたまの 闇のうつつは さだかなる 夢にいくらも まさらざりけり
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うつつには さもこそあらめ 夢にさへ 一目をよくと 見るがわびしさ
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夢路には 足もやすめず かよへども うつつに一目 見しごとはあらず
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夢とこそ いふべかりけれ 世の中に うつつあるものと 思ひけるかな
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寝るがうちに 見るをのみやは 夢といはむ はかなき世をも うつつとは見ず
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世の中は 夢かうつつか うつつとも 夢とも知らず ありてなければ
6番目までは夢と現実(うつつ)の境ははっきりしているけど、7,8番目の小野小町の歌から境界があいまいになりはじめ、9番目の紀貫之、10番目の壬生忠岑は、この世に現実はなく、夢そのものだったのだ、と詠っている。そして最後は夢も現実もあるかどうか分からないと終わる。
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