西行「山家集」の月恋歌より10首

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経済系の学問が過去の数字を説明しているだけと悟って以来、
日本を読み解く方法を歴史の中に探し求め続ける日々。
今年の春、日本人が桜へ込めた想いを追っていくなかで、
日本の文化・精神史における転換点にいた西行と出会った。

西行の和歌といえば「」だけではない。
ふと空を見上げれば次第に丸みをおびてきた「」。
今宵は西行「山家集」の月恋歌から10首を選んでみた。
※山家集の月恋歌…恋の章に月の歌が37首並ぶ


澄んだ月に照らされた私の想い、あの人へ届け!
そんな願いを込めて詠んだ歌。

ともすれば 月すむ空に あくがるる
心の果てを 知るよしもがな

そして恋が成就した後は、

おもかげの 忘らるまじき 別れかな
名残りを人の 月にとどめて

思ひ出づる ことはいつとも いひながら
月にはたへぬ 心なりけり

恋しい人のことを思い出すのはいつものこと。
でも別れ際の面影を月にとどめてきたからかな、
月を見るとあなたへの想いが一層、募ってしまうね。
そして募る想いは…

恋しさや 思ひよわると ながむれば
いとど心を くだく月影

よもすがら 月を見顔に もてなして
心の闇に まよふ頃かな

恋しい想いをまぎらわそうと月を眺めても、一層心は乱れる。
夜通し月をめでるふりをして、心の底では恋に悩む日々だよ。


なぜ太陽ではなく月なのか?
アポロンからアマテラスまで、神話では太陽が絶対的な存在。
でも恋に関しては月でなければダメなのだ。

私たちは自分自身さえも正しく理解できない生き物だ。
だから他者の瞳の奥にある自己像に意味を見出そうとする。
そして最も重要なのが、愛する人が投げ返してくれる自己像。
だから恋は太陽によって照らされる月的な感情と言える。


月を仰いでは叶わぬ恋を嘆く…

あはれとも 見る人あらば 思ひなん
月のおもてに やどる心は

我が想いを宿した月を見た人は、あわれと感じることだろう。

和歌に詠われた恋は、叶わなかった恋が多い。
西行の和歌も同様で百人一首に撰ばれた歌も、

なげけとて 月やはものを 思はする
かこち顔なる わが涙かな

月の美しさが心に刺さり、止まらない涙。
それはこれ以上、叶わぬ恋に嘆かぬように流れる涙。

世々ふとも 忘れがたみの 思ひ出は
たもとに月の 宿るばかりか

何度生まれ変わっても忘れることのない思い出は、
叶わぬ恋ゆえに涙に濡れた袂に宿る月だけ。。。
そして再び月を眺める。

ながむるに なぐさむことは なけれども
月を友にて あかす頃かな

月を眺めていても恋心がなぐさめられるわけではない。
さりとて他に慰めてくれるものもなく、月を眺めて夜を明かすこの頃だよ。


念願叶って手にしたものより、叶わなかった願いの方が輝いて見える。
流れ星や花火のように、一瞬光り輝いて、消えていった思い出の数々。
また同じような瞬間に出会いたい。そんな想いが明日を生きる力となる。
心のよりどころは、美化された思い出の中に眠っているのかもしれない。
だからこそ、叶わぬ恋の歌が時を超えて読まれ続けるのだと思う。


最後にもう一首。

君にいかで 月にあらそふ ほどばかり
めぐり逢ひつつ 影を並べん

毎晩出会う空の月と競うほど、恋しいあなたとめぐり逢い、肩を並べていたい。

こうした歌が詠まれる国だから、
夏目漱石が”I love you.“をこう訳すことができるのだろう。

あなたといると、月がきれいですね。


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コメント

  1. 昔からのファンです より:

    出だしの二行にとても深い思いを感じて初めてコメントします。
    たしか投資の研究をされたいと、お仕事を辞めてまで大学院へ進まれましたよね。でもその結果が・・・そして今ではまったく異分野の日本文化論。「まろ」さんだけに「和歌」がぴったりの印象もありますが、ここまでの転身は常人にはまず不可能だと思います。
    少し内容が難しい記事もありますが、がんばってついていきたいです。今年も幅広い内容をご提供いただきありがとうございました。これからも楽しみにしています。

  2. まろ@管理人 より:

    今の私には目標とか目的なんてありません。
    その時々に興味を持ったものを徹底的に追いかける!
    こんな調子なので、これからもどこへ行くのか分かりませんが、よかったお付き合いください。