文字、索引、Google、AIに対する懸念はすべて同じ/デニス・ダンカン「索引の歴史」

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この世のすべての情報に索引を付ける。

それがGoogleが目指していることだと捉え、
書物における索引の歴史を読み解けば、何かが見えそうだ。

索引は1230年頃、聖書に2つの型の方法で付けられはじめた。

  • 用語索引…人物名や用語の出現箇所を示すもの
  • 主題索引…本文中のキーワードを見出し、該当箇所を示すもの

その後、15世紀にグーテンベルクの印刷術が普及したことで、
書物にページ番号がふられて、情報の正確な参照が実現した。
(それ以前は手書きの写本だからページ番号の意味がなかった)

ピーター・バーク「博学者」でも指摘されていたことだが、
出版物の増加に伴い、手に入れられる情報が激増し、
人々は情報収集の方法に頭を悩ませていた。

そこで効率的に情報を得るための方法として、
書物に付された索引とページ番号の便利さは歓迎されたのだ。
一方で16世紀には索引に対して懸念を示す有識者が現れ始める。

  • 索引を頼りに欲しい情報だけ抽出して読むことで、手っ取り早く知識を得ようとするのでは?
  • 長時間かけて本と向き合うための集中力が失われていくのでは?
  • 何かに疑問を持ったら、まず書斎にこもって索引をめくりはじめ、実体験に赴くべき好奇心を潰してしまうのでは?

それから約500年が経過したが、索引がなくなりはしなかった。
当時の批判をそのままに、索引がGoogle、AIにすり替わっている。

付け加えるなら同じ懸念は、索引が登場するよりもはるか昔、
古代ギリシアで「文字」に対して向けられていた。

私たちの知性の低下に対し、強い懸念が示される道具は、
新たな時代において、不可欠な要素として地位を固めていく。
それが歴史的なパターンと言えるのかもしれない。

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