「バカの研究」と伊達政宗の遺訓

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遊び人を極めて賢者になりたい!と願うも、
現実世界はドラクエⅢの転職システムのようにはいかない。
ならばせめて、社会の害悪になるようなバカにはなりたくない。
そんなことを考えた時に出会った、ちょうどいい本。

24人の科学者、大学教授が「バカ」を徹底分析している。

気になった発言を抜き出し、

  • バカとはなにか?
  • なぜバカになってしまうのか?
  • バカに巻き込まれないために必要なのは?

の3点に分類してみた。

バカとはなにか?

「微笑ましいバカ」が減り、「ゾッとするようなバカ」が増えた。
そんなような実感があるのは、情報の流れが変わり、
インパクトのある情報が目につきやすくなっただけなのか?
そもそも私たちは何に「バカ」を感じるのだろうか?

  • バカとは、心理学研究によって証明された、様々な「傾向」や「バイアス」が極端に誇張されている人物をいう。(セルジュ・シコッティ)
  • 本物のバカとは、自らの知性に過剰な自信を抱き、決して自分の考えに疑いを抱かない人間のこと。バカは嘘つきより始末に負えない。嘘つきは真実を知っているが、バカは真実には関心がない。(エヴァ・ドロツダ=サンコウスカ)
  • 「知的なバカ」の典型は、豊かな知識を持ってるが、真実や知識の本当の価値、それを得ることの真の意味を理解できず、他人の誤りを無慈悲なまでに厳しく糾弾する。ナルシシズム、無分別、知識人気取りがその特徴だ。(セバスチャン・ディエゲス)

認知バイアスによって、誰もがバカになってしまうことはある。
常に物事を多角的に捉え、自らの知性の限界を悟ることで、
バカになることを避けることはできるだろうか?

なぜバカになってしまうのか?

  • 多くの科学研究によると、私たちが非合理的になるのは、まわりの状況を自分でコントロールしたいという欲求からきている。(セルジュ・シコッティ)
  • 知性の高さはバカとは関係がない。むしろ変に頭がよいせいで、他の人を見下してバカになることがある。知性のほかに、裕福、ルックスがよい等、恵まれた人の方がうぬぼれバカになりやすい。(アーロン・ジェームズ)
  • 悪意(バカ)の先験的条件としてのSNSの特徴は、(1)生活のスペクタクル化、(2)何でも裁きたがる傾向、(3)有名になりたいという欲求。(フランソワ・ジョスト)

どんなに知性を磨いたところで、バカになることは避けられない。
ただ世間の評価に囚われて、知性が雲散霧消するのは確かなようだ。

古くから説かれてきた私たちの愚かな側面が、
SNSの登場によって先鋭化してしまったということか。

バカに巻き込まれないために必要なのは?

バカにならないよう注意を払っていたとしても、
身近に現れたバカに巻き込まれしまうこともあるだろう。
それを避けるには何に気をつければいいのか?

  • 他人にアピールする権威には興味がない。その人がどういう知識を持っているか、どのように判断するか、自らの意見を主張する前にきちんと考えたか、誰かに反論された時に誤りを認められるかに関心がある。(ハワード・ガードナー)
  • 疑うことはバカに対する解毒剤だ。科学における真実の寿命は10年程度。だから科学は疑うことで発展してきた。疑いを持たなければ、科学ではなく信仰だ。(ジャン=クロード・カリエール)
  • 知性を凝縮したものが感情だ。知的になるほど複雑な感情を抱けるようになる。知性と感情を対立させるのはやめるべき。だからこそ「あなたの知性を磨こう!」(トビ・ナタン)

地位や富を信頼の基準に、他者の主張を受け入れてはならない。
権威を鵜呑みにすることは、思考ではなく信仰になってしまう。
常に「問い」を立てられるだけの好奇心があれば、
バカにならずに生きていけるのだろうか。

伊達政宗遺訓

ふと思い出したのが、伊達政宗の遺訓「伊達家五常訓」。

仁に過ぐれば弱くなる

義に過ぐれば固くなる

礼に過ぐれば諂となる ※諂(へつらい)

智に過ぐれば嘘を吐く

信に過ぐれば損をする

バカにならないための心得がスッキリまとまっている。

「バカ」の研究
亜紀書房
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