評判の気にしすぎに道元が物申す/正法眼蔵随聞記

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鎌倉時代の禅僧、道元の弟子が師の教えを書きとめた「正法眼蔵随聞記」。

世間の評判を気にしがちな風潮を批判する発言が繰り返し登場し、
日本って昔からこういう感じだったのだなぁ、と苦笑してしまう。

「世人多く善事を成す時は人に知られんと思ひ、悪事を成す時は人に知られじと思うによって、この心、冥衆の心にかなはざるによって、所作の善事に感応なく、密かに作す所の悪事には罰あるなり。」

(世の中の人の多くは善いことをした時は人に知られたいと思い、悪いことをしたときは人に知られまいと思う。こういた心がけが諸天や閻魔に見透かされてしまい、善いことをしても報われず、人知れず犯した悪事には罰が下るのだ。)

「今の世、出世間の人、多分は善事をなしては、かまへて人に識られんと思ひ、悪事をなしては人に知られじと思ふ。此れによって内外不相応の事、出で来たる。相構へて内外相応し、誤りを悔い、実徳を隠して、外相をかざらず、好事をば他人に譲り、悪事をば己に向ふる志気あるべきなり。」

(今の世の中、一般の人も出家した人も、善いことをしたらどうにかして人に知られようと思い、悪いことをしたら人に知られまいと思う。だから心の内と外が一致しなくなる。心の内と外をひとつにし、間違いを悔い改め、真の徳は内に隠し、外面だけを飾らず、善いことをしたら他人に譲り、悪事の責めは自分が引き受けるくらいの気概を持つべきだ。)

世間の評判を気にせず、人知れず善いことをするという姿勢が大事。
そしてその理由として指摘した話にまったくその通り!

「今この国の人は、多分あるいは行儀につけ、あるいは言語につけ、善悪是非、世人の見聞識知を思うて、その事をなさば人あしく思ひてん、その事は人よし思ひてん、乃至向後までもと執するなり。これまた全く非なり。世間の人、必ずしも善とする事あたはず。」

(この国の人の多くは、行儀や言葉に善悪を考え、世間の評判を考え、こうすれば人が悪く思うだろう、こうすれば人が立派に思うだろう、と後々のことまで勘定に入れて考えているが、まったくの間違えだ。世間の人は善いことでも必ずしも善いと判断することができないから。)

人によって善悪の判断基準は微妙にずれていたり、
そもそも善を善、悪を悪と判断することができなかったりする。
世間に善悪の判断を委ねても無意味なのだ。

「ただなにとなく世間の人のやうにて、内心も調へもてゆく、これまことの道心者なり。」

(表面的には一般の人と同じにように見せかけて、内なる心を整えてゆく者が、真の道心ある者なのだ。)

東日本大震災やCOVID-19のような危機後の対応で、
評価と証明を重ねるべきところで、評判を気にして本質を見失う、
といったことが繰り返し起きているように感じる。

そのあたりは八百万の神を信仰するところに由来すると思われ、
たくさんの神様に認められるといいな、とゆるい感覚の中で、
多くの神様が世間となり、評価より評判が大事な国になったのだろう。
ある種の日本の文化・伝統だからどうにもならないか。。。

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