エマニュエル・トッド「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」
上下巻を読み終えて、先日メモした家族制度以外で気になったのは、
教育水準が上がると分断が進み、民主主義の危機が訪れるという指摘。
最近の「ポピュリズム」的な動きに対する個人的な認識は、
- IT革命後の情報の洪水に対して脳の処理が追いつかず、また情報の取捨選択のためにフィルターバブルに飲まれ、知性が崩壊している?(→関連記事)
- オルテガ・イ・ガセットやハンナ・アレントが危惧した時代の再来?
というようなものだった。
しかしトッドは、民主主義の基礎であったはずの教育が、
その普及とともに民主主義へ牙を向いていった過程を描いている。
「まず初等教育への普遍的アクセスが、次に中等教育へのそれが、平等主義的な社会的下意識を培った。この下意識は民主主義的であった。高等教育の普及が頭打ちになる現象は、まず米国で、その後各国で、不平等主義的な社会的下意識を生み出した。」
教育は本来、平等をもたらすものだったが、高等教育が普及し、
大卒が一定の割合で頭打ち、横ばいになるとともに、
大学は知の探求ではなく、人々のランク付けの場に堕ちていった。
トッドの大学批判はかなり手厳しい。
「今や明らかにアカデミアは、社会の階層秩序化への貢献を最大の存在意義としている。」
「人はもはや、高等教育レベルの学びに勤しむときに、知的・精神的な自己開放を目的としていない。今日では、人が高等教育レベルに就学するのは、野心的であるならば社会というピラミッドの上層部に到達するためであり、良家の子女ならばその上層部にとどまるためであり、庶民の出であるならば「落ちこぼれ」ないためである。」
たしかに大卒の学歴ってランク付け以外の用途が不明だよね。
私は法学部出身だったけど、卒業しても法律の専門性はなく、
株式投資を続ける過程で、会社法の知識が少し増えたぐらい。
そして今では名門校への受験が課金ゲーム化していると聞く。
教育による階層化、階層の固定化が進み、社会が分断していく。
「高等教育が自由主義的民主制社会の文化的同質性を壊し、開放性称賛の価値観に執着する「上の方の人々」と自国の国境を管理し、自国民の利益を優先事項とみなすことをネイションの権利として要求する「下の方の人々」を創出した。」
付け加えるなら、私たちは自分の今の立ち位置が常識と思いがち。
先日、金融庁の方と意見交換した時にすごく反省したことがあった。
「あなたの知的レベルならそれが正しいかもしれないが、私たちは広く一般の方のことを考えて「投資でだまされないこと」を重視して制度設計を進める必要がある。」
というように言われて、目が覚める思いだった。
高い景色が見えるようになるほど(という表現も傲慢だが)、
思考が硬直化し、世の中に害をなす存在となっていくということか…。






コメント