田崎健太「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」

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3期連続の赤字または債務超過でクラブライセンス剥奪。
Jリーグにこの財務基準の規定ができたのは、
横浜フリューゲルス消滅の教訓があるとよく言われている。

当時のフリューゲルスの経営を詳しく知る機会がなかったが、
今春出版されたこの本で全貌が見えてきた。

感想を一言で表すなら、とにかく全日本空輸(ANA)がヤバイ!

本書はJリーグ発足以前から描かれており、

  • フリューゲルスの前身は「ヨコハマトライスターサッカークラブ」という地元に根ざした市民クラブ。社会人サッカーリーグで好成績を収めたクラブにANAが目をつけて、クラブ出身選手と全日空社員の混合チームに。その後、日本リーグ一部入りするとANAが完全支配に乗り出し、旧クラブ出身選手の全員解雇を目論む。1986年にクラブ出身選手が試合をボイコットする事件が起きる。
  • Jリーグ開幕直前に横浜から神戸への移転の話が浮上する。しかし横浜市が2クラブが利用する条件で、三ツ沢球技場の増築に動いていたため頓挫する。

このあたりのエピソードから、
地域に根ざしたクラブづくりというJリーグの理念の根幹を、
親会社のANAがまるで理解していない様子がよく分かる。

横浜フリューゲルス発足後の経営もひどいもので、

  • 営業収入と人件費がまったく釣り合わず、親会社からの補填を当てにしたメチャクチャな経営がされていた。
  • 1996年には、ANAから10億円、佐藤工業から6億円の損失補填(ブラジル代表ジーニョやサンパイオ加入で人件費が高騰)
  • 販売ユニフォームの在庫管理ができておらず、新シーズンにデザインを変更すると大量の減損が発生。
  • ANAからの出向社員がまったくやる気がなく、始業時間に出社しない、夜遅くまで麻雀に興じてタクシーチケットを使うと、やりたい放題。

フリューゲルスはANAが6割、佐藤工業が4割出資して発足したクラブ。
1997年に佐藤工業が経営危機に陥り(2002年に会社更生法の適用申請)、
経営が創業家の手から離れたことで、支援を打ち切ることになった。
そして同じく経営不振だったANAも単独でクラブを支えることができず、
フリューゲルスは横浜マリノスに吸収合併されることとなる。

ANAからの出向者の経営能力のなさを象徴しているのが、
億単位の移籍金が得られるはずのブラジル代表のサンパイオを、
移籍金ゼロでパルメイラスに移籍させてしまったこと。

最後に天皇杯で優勝する実力があったチームなのだから、
サンパイオに限らず主力選手を移籍させた移籍金と、
残った若手でチームを再建する手もあったはずだが無策だった。

ちなみに同時期に経営危機に陥った、
エスパルスやヴェルディの経営再建に力を尽くした人材が、
元ヨコハマトライスターサッカークラブの出身だった。
彼らは1986年のボイコット事件あたりでチームを離れており、
因果応報とはまさにこのことかもしれない。

最後に、今まで気づかず、なるほど!と思った記述は、
「オリジナル10」と呼ばれたJリーグ初年度クラブの親会社について。

10クラブのうち、7つのクラブは製造業のサッカー部が前身。
膨大な初期投資がかかり、成果が出るまで何年もかかる製造業と、
サッカークラブを育てることの親和性が指摘されていた。

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