NHK「あの人の本棚」で鈴木敏夫さんが紹介されていて、
愛読書の一つとして加藤周一の著作をあげていた。
この機会に読んでみたのが、
2008年に亡くなった著者が2007年に書いた一冊なので、
日本文化に対する考えをまとめたものなのではと。
「今=ここ」に生きることが日本文化の特徴であり、
時間は「今」、空間は「ここ」を重視してきたと著者は説く。
日本文化の時間概念
- 歴史的時間…始めがなく終わりのない直線的な時間(古事記)
- 日常的時間…四季に代表される円周上を循環する時間(万葉集、古今集)
- 普遍的時間…人生という始めがあり終わりがある時間(諸行無常)
天地創造から世界の終末を語る「旧約聖書」とは異なり、
古事記は国土と王朝の起源を語るのみで時間の起源は語らず。
時間の流れの中で「今」が次々と生まれるのが日本文化の感覚。
古代ギリシアでは天体の運動から時間の循環を捉えたが、
四季からそれを捉えた日本の感覚は微妙に異なるものだった。
散る桜を惜しむ和歌は、季節の移り変わりではなく、
円環する時間の一点である現在の一回性に着目して詠まれている。
連歌の時代なると、前句と付句との関係性の面白さが重視され、
全体の構造はなく、成り行き次第で決まっていく。
そこには過去も未来もない、現時点での面白味だけが残された。
本書から諸行無常の時間感覚については、読み取れなかったが、
日本の古典を追っていると、今この時の大切さを説いたものが多い。
- 一期一会の来歴/茶人・井伊直弼(12/08/09)
- いつやるか? 今でしょ!/徒然草59、155、188段(13/05/15)
- 道元の時間論/正法眼蔵・有時(16/11/13)
著者はこれら三つの時間概念のどれもが、
「今」に生きることを強調する方向に向かっていると説く。
日本文化の空間概念
- 「オク(奥)」の概念…奥へ進むほど空間の聖性が増す(神社の構造)
- 水平面の強調…建築や舞踊ではタテではなくヨコへの広がりを中心に展開
- 「建増し」思想…全体の計画なしに、部分を積み上げていく発想
時間概念についてはこれまでも触れる機会が多かったが、
私にとって空間概念が目新しいせいか、これら3つの概念が、
どうして「ここ」を重視することに繋がるのか理解できなかった。
「今=ここ」の日本文化の現在地
著者は以上のように日本文化では、
時間においては「今」を、空間においては「ここ」を、
重視してきたことを事例をあげながら説明し、最後にこうまとめる。
日本文化の中では、原則として、過去(特に不都合な過去)は、「水に流す」ことができる。同時に未来を思い患う必要はない。「明日は明日の風が吹く」。地震は起こるだろうし、バブル経済ははじけるだろう。明日がどうなろうと、建物の安全基準をごまかして今カネをもうけ、不良債権を積み上げて今商売を盛んにする。もし建物の危険がばれ、不良債権が回収できなくなれば、その時現在で、深く頭を下げ、「世間をお騒がせ」したことを、「誠心誠意」おわびする。要するに未来を考えずに現在の利益をめざして動き、失敗すれば水に流すか、少なくとも流す努力をする。その努力は「誠心誠意」すなわち「心の問題」であり、行為が社会にどういう結果を及ぼしたか(結果責任)よりも、当事者がどういう意図をもって行動したか(意図の善悪)が話の中心になるだろう。文化的な伝統は決して滅びていない。
政治や経済、経営において長期的視野に乏しいと揶揄されるが、
私の見立てでは「一貫性がないことに一途」なのが日本の面白さだ。
文化的な伝統に基づいた習性を変えるのは難しい。
長所と短所は表裏一体であることを常に頭に入れておきたい。
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