大権現として祀られた家康信仰の穴/末木文美士「日本宗教史」

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徳川家康の死後、家康をどう「神君」化するか?
金地院崇伝と天海が議論の末に選択した方法が、
後に明治時代の国家神道がスムーズに受容される土台になった?

そんな説を末木文美士日本宗教史の中に見つけてへぇーと。
少し理解ができた気がするので、この機会にまとめておこうと思う。

論点は家康を吉田神道山王一実神道のどちらで祀るか?

それぞれの神道の論点を簡単にまとめると、

吉田神道(崇伝支持) 山王一実神道(天海支持)
神仏習合 神と仏は本質的に異なる存在 神と仏は同一の存在
祭祀方法 神道の儀礼に基づく 仏教の儀礼を取り入れる
天皇との関係 天皇は神道の最高権威 天皇は山王神の化身

家康死後の経緯

  1. 吉田神道によって駿河の東照宮に葬られ、その日のうちに神道家の梵舜が遺体を久能山に運ぶ。
  2. 一周忌を迎え、久能山から日光山へ改装する際に、吉田神道を支持する金地院崇伝と、山王一実神道を支持する天海との間でもめる。(なぜか仏教者が神道の方式で対立する不思議)
  3. 家康を「明神」として祀ろうとする吉田神道の主張は、おそらく豊臣秀吉が死後に「豊国大明神」として祀られ、滅亡したことから不吉。天海の支持する山王一実神道にのっとって、「東照大権現」として祀られることになった。

東照大権現として祀られた家康信仰の穴

  • 東照宮が神仏習合の山王神道に拠っている
  • それによって東照宮が伊勢神宮を中心とした古典的な神話の体系に入らない

「後に倒幕運動が神道と結びついて尊王攘夷を主張したとき、幕府側には結局それに対抗して宗教レベルで将軍の権威を説得できるだけの強いイデオロギーがなかった。倒幕が意外に順調に進んだこと、その後、ほとんど強い抵抗もなく一挙に明治の天皇主義的な国家神道が受容されたことの裏には、このような事情もあったのではないかと考えられる。」(P165)

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