高僧との禅問答のような…高川武将「超越の棋士 羽生善治との対話」

2010年9月から永世七冠達成の2018年1月までの7年間におよぶ
羽生善治さんへの全8回のインタビューをまとめた1冊、

うつ病経験者であるインタビュアーの著者が、
文中で羽生さんとの対話に「癒やしを感じる」と言及。
そのせいかなのか、古典で出会うような問答がたびたび現れる

人生とは目標に向かって突き進むことが正しいとされる。
ゆえに著者も勝ち続ける羽生さんが、
何を目標に、どのような想いで将棋と向き合っているのか、
話を引き出そうとするのだが…

勝つために、勝とうという意思は必要ではない

「私は将棋を指すときに、闘争心は要らない、と思っていますね。闘争心を前面に出して相手を打ち負かしにいくことは、基本的には考えないです、ええ。どう言えばいいんでしょうかね、もっと瞬間的に、短時間で決着がつく競技には必要なのかもしれないですけど、将棋は対局時間が非常に長いので、自分のペースを乱さないよう、変わらないよう、一手一手を指していくことのほうが大事なんじゃないかなと思いますね。」

対局相手への闘争心はないなら一体何と戦っているのか?
という問いかけには「なにもない」と答え、

「ええ。その問いをどんどん突き詰めると、『何もない』という結論になるんです。だから、そこはあまり突き詰めずに、目の前の対局の中で、いろいろなものを見つけていくことが大事なのかなぁと思っていますが。」

さらには勝ちたいという想いはかえって邪魔になると答える。

「もちろん、やっていることは勝負であり、結果がつくことではあるので、全部が全部、闘いではないとは思わないです。ただ、そのプロセスの中で、闘争心のようなものはそんなに必要ではないと考えているんですね。ちょっと矛盾した言い方になるんですけど、『勝つために、勝とうという意思はそれほど必要ではない』と。むしろ、邪魔になってしまうことがあるので……。そこはパラドクスですけど、そういう面は間違いなくありますね。」

そして極めつけは、

「たぶん、意味も目的も、あまり正面から向き合い過ぎないことが大事なんじゃないでしょうかね。うん。すべてに真正面から向き合ったら、きっと何もできないですよ。最後は『これも意味がない、あれも意味がない、何をやってもすべて無意味だ』となっちゃって……。だからまあ、ほどほどに、適当に向き合って、でいいんじゃないですかね。」

未来に対して確固たる理想や目標を持って進もうとするのではなく、
まずは目の前の現実に意味を求めず素直に受け入れ、それに順応していく。
それは荘子の「不測に立ちて無有に遊ぶ者」の姿そのものに見えてくる。

気持ちが乗らない日はあきらめる

対局の日に気持ちが乗らない日の修正方法は?という問いには、
「諦めることが大事」と答えた上で、

「諦めることも大事というのは、将棋の対局のように、何かをたくさんこなしていく場合に、特にそう思うんです。たくさんやっていくときには、『テンションが低い日も当然あるんだ』と思っていたほうがいいような気がしますね。うん。テンションが低い日は、何とかしようと思うよりも、もうしようがないと諦める。あまり完璧さばかりを求めると、かえって立ち直りが難しくなる。毎回毎回、100%、いつも同じテンションの高さを保ち続けようとすると、逆に下がっちゃうという感じがありますね。」

気持ちなど天気のようなものだから制御は不可能。
どこまで頑張って、どこから諦めるのかの判断基準は、

「その判断基準は、『無理をしない』ということだと思います。無理をすると、後で必ず反動が来るので、自然にできることをするということですよね。」

というように、たしかに精神科医が患者を諭しているような…。
そして対局中に芽生えた不安や焦りにどう対処するのか?という問いには、

「そういう(ネガティブな)気持ちが生じたら、集中して考える。不安を集中に変えていく。そういう気持ちが生じること自体、集中していない証拠ですからね。」

どうしても集中できないときには、

「まあ、ありきたりかもしれませんけど、やっぱり、『その状況を楽しむ』ということしかないんじゃないですかね。」

なるほど羽生さんの強さの秘密は「心のしなやかさ」なのだ。

かつて老子が「水」こそが最善のあり方と捉え、
この世に水より柔らかく弱いものはないが、
弱さが強さに勝ち、柔らかさが堅さに勝つのが世の定め、
であると説いていた。(→ 関連記事

人生で最も大切なのは「しなやかさ」なのだと改めて認識させられた。

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