荘子の「遊」にまつわる記述はとてもおもしろい。
以前はありのままに生きることの大切さを説いた「遊」を編集したが、
今日は投資の心得にも通ずる「遊」についてまとめておこう。
応帝王編で「賢明な君主(明王)とは何か?」を説いた一説。
文中では老子が問われてこう答えた、という記述になっている。
「明王の治は、功は天下を蓋えども、おのれよりせざるに似たり。化は万物に貸せども、しかも民たのまず。有れども名を挙ぐるなく、物をして自おのずから喜ばしむ。不測に立ちて無有に遊ぶ者なり。」
天下を治めてはいても、その治世の功績は残さない。
だから人々は君主の存在を知らないまま、喜んで暮らしている。
明王とは先の読めない未来に対し、無心で遊ぶ存在なのである。
未来に対して確固たる理想や目標を持って進もうとするのではなく、
まずは目の前の現実を素直に受け入れ、それに順応していく。
未来を予測することは行動を縛られることだと荘子は考えた。
だから「不測に立ちて無有に遊ぶ」姿勢が最も強いのだと。
未来に対する分析の前提は、今日真実であることが明日も真実であること。
私たちの脳は数列や正比例のような規則性を望むが現実は違う。
だから投資の世界では分析の精度より変化に対する柔軟性が重要だ。
そして欲を捨て、無心で遊ぶ姿勢こそが柔軟性を生むに違いない。
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