天職が気になって、マックス・ヴェーバー「プロ倫」を再読。

すっかり気に入ってしまったアニメ「ソードアート・オンライン」で、
「天職」や「天命」というキーワードが出てきたのがきっかけで、

を8年ぶりくらいに手にとった。動機がヘンテコだ。
私の手元にあるのは、岩波ではなく日経BPクラシックスの新訳。

研究の原点

内容をすっかり忘れていたようで、いきなり驚いたのが、
ヴェーバーがこの研究をはじめようとしたきっかけは、
カトリックとプロテスタントの経済格差に関する統計だったこと。

「近代的な産業資本や商業資本の大企業においてはプロテスタントによる資本所有額が多く、プロテスタントである経営者や上層の社員の比率が高い。」

そういえばギリシャの財政破綻でユーロ危機が叫ばれた時、
財政問題を抱える国家の頭文字をとって「PIIGS」と称された、

  • P…ポルトガル
  • I…アイルランド
  • I…イタリア
  • G…ギリシャ
  • S…スペイン

ギリシャがギリシャ正教で、残りはカトリックの国だよね。
単なる偶然なのだろうか…。

ルターの翻訳した「天職」の概念

天職(ドイツ語”Beruf”:神に与えられた使命)という言葉は、
宗教改革の時にルター(1483~1546)が聖書を翻訳した際に使ったもの。

「宗教改革のもたらしたもの、とくにルターの業績のうちで後世に最大の影響をもたらしたものの一つが、世俗の職業生活に道徳的な性格をあたえたことであるのは、疑問の余地のないところ」

ルターが天職すなわち世俗的な職業労働は隣人愛の表現とし、
「教会の外に救いなし」とするカトリックに対抗したことが、
資本主義の精神に倫理観が内包される原点となった。

今でも世界的な経済成長が進むことで、
人類全体が豊かになるという考え方があるが、
これもまた隣人愛の拡張解釈のひとつなのだろうか。

カルヴァンの予定説と職業観

スイスで宗教改革を進めたカルヴァン(1509~64)は、
救われる者と救われない者は神の意志によって予め定められている、
という「予定説」を説いた。

自分は救われる存在なのかどうか? その問いに対しては、

「まず信徒たちは、自分が選ばれた者だと信じることが絶対の義務とみなし、そのことに疑いがもつことは悪魔の誘惑として退けるように求められた。」

「こうした自己確信を獲得するための手段として、職業労働に休みなく従事することが教え込まれたのである。この職業労働だけが、宗教的な疑惑を追い払い恩寵を与えられた状態にあるという救いの確証をもたらすことができるのである。」

天職に勤しむことが救済につながると信じるカルヴィニズムは、
ピューリタンに受け継がれ、また別の考えが加わってゆく。

ピューリタンの職業倫理

合理主義を重視するピューリタニズムでは職業を変えることもよしとされた。

「神が要求するのは労働そのものではなく、合理的な職業労働である。ピューリタニズムの職業の理念においてつねに重点がおかれているのはこの方法的な性格であり、ルターのように、神がひとたびその人に与えた運命にへりくだって、みずから甘んじていることではなかった。」

そして職業が神に喜ばれるものであるかどうかの基準となったのは、

「第一に道徳的な基準であり、第二はその職業において生産される財が「全体」にとってどれほど重要な意味をもつかという有用性の基準であり、第三に私経済的な利益率という基準が適用されたのだが、じつは実践においてもっとも重要なのは、この第三の基準だった。」

より大きな富を得られるなら職業を変えるべきであり、

職業の義務を遂行することによって富を獲得することは、道徳的に許されているだけではなく、まさに命じられているのである。

資本主義において、人々が利益を追求することの動機を、
お金そのものではないところに見出したのが、
ヴェーバー「プロ倫」の業績ということになるのだろうか。

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