ロバート・ライシュ「コモングッド」

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ロバート・ライシュと言えば「暴走する資本主義」を思い出す。
たしかリーマン・ショック直前の頃に読んだのだと思う。

十数年も前なので、内容を正確に思い出せない。
ただ誰もが投資家・従業員・消費者の立場を持っていて、
投資家として自分さえ儲かればという姿勢でいると、

  • 商品やサービスの品質低下(偽装問題)
  • 給料が低く抑えられる(労働問題)

といった形で結局は自分に跳ね返ってくることに気付かされた。
投資家としての倫理観を問われた一冊だったと記憶している。

今回の一冊は2018年に出版され、2024年秋に邦訳が出版。

訳者あとがきで“common good”の日本語に悩んだと書かれていて、
文脈に応じて「共益」「公共善」「良識」に訳し分けたとのこと。

日本語って漢字の組み合わせで、微妙に意味合いが変わってくる。
なんか不思議な言語だなぁ、とあらためて感じさせられる。

さて著者によるコモングッドの定義は、

「コモングッド」とは、同じ社会の一員として連帯する市民が、互いにどんな義務を負っているかを示す共有価値である。それは、私たちが自発的にそれに従おうとするような規範であり、また、私たちが成就させたいと願う理想でもある。

そしてコモングッドが成り立つかどうかは、
自分以外の大多数の人も守っていると信じられるかどうか
長年にわたって積み上げられてきた信頼の集合体である。

しかしコモングッドに大きな価値があるがゆえに、
それを利用して利益をかすめとろうとする輩が現れてしまう。
著者がとくに問題視しているのは次の3つの信頼搾取

  1. 「手段を選ばず」勝つ政治(ニクソンのウォーターゲート事件がその幕開け)
  2. 「手段を選ばず」利益を最大化する人々(例…企業乗っ取り屋のマイケル・ミルケン、株主&株価第一主義のCEOジャック・ウェルチ)
  3. 経済を不正操作するためなら「手段を選ばない」人々(企業が政治献金に大金を注ぎ、法人と富裕層の減税に政治を誘導)

こうしてコモングッドが衰退したことで、

  1. 一般家庭と富裕層との間で、経済格差が広がる。
  2. 世の中は富裕層に利するように操られているのだと多くの人が考えるようになる。
  3. 不正行為は許容されるものだと考える人が増え、職業倫理が低下していく。

というような認識の変化が起きてしまい、

コモングッドの上に成立していた経済社会関係が、契約をベースにした関係とみなされるようになり、人々は様々な状況における自らの義務について自問自答することが減り、逆にどんな得なことがあるのかをより聞きたがるようになる。何事も取引だとなれば、人は他人を出し抜くことで成功しようとする。義務は自己増強や自己宣伝にとって代わられ、犠牲や無私への要請は、より良い取引を渇望する個人的要求にとって代わられる。

さらには、不公平の原因を移民や外国人に押し付ける、
扇動政治家が現れ、人々の支持を集めるようになった。
(この本の出版時の2018年はトランプ政権が成立した頃)

この状況からコモングッドをどう復活させていくか。
著者の提言はおおよそ3つにまとめられるだろうか?

  • コモングッドの犠牲の上に手に入れた富や権力を持つ者を高く評価するような社会であってはならない。名誉と恥を正しく判断せよ!
  • 富や権力のためなら何でもする風潮によって真実が軽んじられている。1人1人が真実を見出し、共有し、維持しようと努力せよ!
  • 多くの市民が真実と嘘を見分けられるよう、十分な教育を受けられるようにすべし!

資本主義の問題を扱った本を読み続けているが、
株式市場にいずれ規制が入るのは避けられないように感じる。

パッと思いつくものだと、従業員の給与水準に連動して、
役員報酬や自社株買い、配当額の上限が決まるような規制。
これだけでも少しは格差是正につながるように思う。

こうした未来がやって来ることを想定して、
投資家のあるべき姿を考えながら投資をしたいものだ。

コモングッド: 暴走する資本主義社会で倫理を語る
東洋経済新報社
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