文庫化を機に「暇と退屈の倫理学」を蔵書に加える。蔵書のジレンマ…

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國分功一郎「暇と退屈の倫理学」の3周目を終えた。

単行本で最初に出たとき、増補版は図書館で借り、
文庫化を機会に購入して、線を引いたり付箋を貼ったり。

ここだけ切り出すのは著者の本意ではないことは明らかだが、
投資家の心得として重要な一節を紹介すると、

「大切なのは理解する過程である。そうした過程が人に、理解する術を、ひいては生きる術を獲得させるのだ。  逆に、こうした過程の重要性を無視したとき、人は与えられた情報の単なる奴隷になってしまう。」

ハンナ・アレントの「人間の条件」を思い起こさせる一節。
株価の上下や損得にしか目がいかないうちは情報の奴隷。
経済的自由を目指すのなら、まずは奴隷であることをやめよう。

「楽しむことは思考することにつながるということである。なぜなら、楽しむことも思考することも、どちらも受け取ることであるからだ。人は楽しみを知っている時、思考に対して開かれている。・・・人は楽しみ、楽しむことを学びながら、ものを考えることができるようになっていくのだ。」

物事の本質を見抜く力は楽しむことで身につくものだと思う。
茶席の掛け軸にも使われる禅語「遊戯三昧(ゆげざんまい)」。
まるで遊んでいるかのように、今この時に没頭する。
「道を極める」ことと「遊ぶ」ことはご近所さんなのだ。

蔵書のジレンマ

単行本の時点でベストセラー化している本は、
図書館か電子書籍で読んで、文庫化されたら購入する。
そうすれば本棚のパンク防止になると考えたりもしたが、
「暇と退屈の倫理学」が蔵書となるまで10年かかってしまった。

うーん、これでいいのか?

読んだ内容が記憶に残ることはなく、残るのは読後感のみ。
だから良書と出逢えたら、いつでも、どのページからでも、
読んだ記憶が再生できるようにしておくことが大事なのだ。

線を引いたり、書き込みをしたり、付箋を貼ったり。
あれは読んだ時の記憶が再生しやすくするためのもの。
CDに音が出るように傷を付けるのが本のマーキングに該当し、
CDのトラックナンバーの役割を果たすのが付箋といえる。

このあたりの紙の本に代わる方法が、まだ見つけられない。。。

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