歴史とは現在と過去との対話/エドワード・ハレット・カー「歴史とは何か」

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すべての歴史は現代史と結びつけて解釈されるものだから、
歴史に学ぶことで今に活かすことができる。
そんな話を、本村凌二「教養としての世界史の読み方」で読んで、
なるほど! と感心したが、以前から語られていた考え方のようだ。

恥ずかしながら、不朽の名著と誉れ高い、
エドワード・ハレット・カー(1892~1982)の講演録、
歴史とは何か」を今ごろになって読んで気付かされた。

E.H.カーによると、イタリアの哲学者、ベネデット・クローチェ(1866~1952)が、
「すべての歴史は現代史である」と宣言したのが原点のようだ。

「すべて歴史的判断の基礎には実践的要求があるので、すべての歴史は『現代史』という性格を与えられる。なぜなら、叙述される事件が遠く離れた時代のものに見えても、実は、その歴史は現在の要求および状況──その内部に事件がこだましているのである──について語っているのであるから。」(クローチェ・1941)

そして長めに紹介しているのが、イギリスの哲学者・歴史家である
ロビン・ジョージ・コリングウッド(1889~1943)の見解。

「歴史哲学は「過去そのもの」を取扱うものでもなければ、「過去そのものに関する歴史家の思想」を取扱うものでもなく、「相互関係における両者」を取扱うものである。「ある歴史家が研究する過去は死んだ過去ではなくて、何らかの意味でなお現在に生きているところの過去である。」しかし、過去は、歴史家がその背後に横たわる思想を理解することが出来るまでは、歴史家にとっては死んだもの、つまり、意味のないものです。ですから、「すべての歴史は思想の歴史である」ということになり、「歴史というのは、歴史家がその歴史を研究しているところの思想が歴史家の心のうちに再現したものである」ということになるのです。」

歴史的事実と歴史家との関係をまとめると、

  1. 歴史上の事実は記録者の心を通して屈折して現れる。ゆえに歴史は解釈。
  2. 歴史家が過去の人々の行為の背後にある思想を理解できなければ、歴史を書くことができない。
  3. 私たちは現在の眼を通してでなければ、過去を眺めることも理解することもできない。

であり、

「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」

ちなみにこの話は歴史だけでなく、投資家の企業分析にも当てはめることができそう。

とくにブランド価値や、最近ではE(環境)・S(社会)・G(ガバナンス)評価のような、
決算書など会計情報に現れない、無形資産をどう評価するのか?といったあたり。
個々の投資家が理解可能な範囲という限界がある以上、
誰が見ても妥当な評価なんてものは存在せず、ひとつの解釈の領域から出られない。
真理にたどり着くことはできなくても、考え続けることが大切、みたいな。

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