最近引用されている機会を目にすることが多くなった、
デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ」。
過去数十年間で労働生産性は大きく上がったはず。
それにも関わらず、ケインズが1930年に20世紀末の姿として予測した、
週15時間労働が達成されることはなかった。
その原因は「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」にある。
「ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。」
無意味にも関わらず、意味があるように振る舞わなければならない仕事。
著者はFIRE部門(金融:finance、保険:insurance、不動産:real estate)に属する、
行政官、コンサルタント、会計スタッフ、IT専門家がこれに該当すると指摘する。
これらは重要性が高いように見えるが、実は社会の豊かさの向上に役立っていない。
かつては生産性が向上すれば、一部は労働者の賃金として再分配されたが、
いまは生産性向上から得られた利益がブルシット・ジョブの高給取りに吸われてしまう。
ではなぜブルシット・ジョブが増えてしまったのか?
著者は数値化できないものを数値化しようとする欲望にあると説く。
「わたしのいいたいのは、実質のある仕事のブルシット化の大部分、そしてブルシット部門がより大きく膨張している理由の大部分は、数量化しえないものを数量化しようとする欲望の直接的な帰結だということである。はっきりいえば、自動化は特定の作業をより効率的にするが、同時に別の作業の効率を下げるのである。」
以上のような著者の指摘を受けて、
明らかに投資家に責任によって増えたブルシット・ジョブがあるなと反省する。
株価の背景を財務情報だけで説明することができなくなり、
非財務情報の企業間比較をするため、数値化しようと躍起になっている。
結果、ブルシット・ジョブを生み出し、株主利益すら毀損するブーメラン状態。
またインデックス投資への支持が広がることで、
指数に採用されるためのブルシット・ジョブが増えてしまう。
数値化した方が分析作業が効率的、投資リスクが分散できる等々…
理由は様々だろうが、目的は投資リターンの向上にあるはず。
しかし効率化やリスク分散とは結局、他の誰かに非効率やリスクを押しつけること。
そしてそれはいつかブーメランのように返ってきて、投資リターンが蒸発する。
さらに致命的な問題は、この間に動いた労働力や投資資金は、
未来を創るためにまったく寄与していないという破滅的な自己矛盾が起きていること。
これは一体どう考えたらいいのだろうか?
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