約12年前、なぜ私はESG投資に関心を持ったのだろう?

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初心忘るべからず世阿弥「花鏡」)。

私が初めて「ESG投資」という概念を知ったのは2009年の秋頃。
日本ではその存在がほとんど知られていない頃、
なぜ私が関心を持ったのか、振り返ることで頭の整理をしてみる。

株主として誇れる企業に投資したい

2008年春に坂本光司「日本でいちばん大切にしたい会社」に感銘を受け、
また同年秋にリーマン・ブラザーズの破綻を目の当たりにしたことで、
投資リターンのみを追い求める時代は終わりだと感じた。

これからは株主として誇れる企業に投資したい!と考えはじめた時、
河口真理子さんに出会い、海外ではESG投資という考え方があることを知る。
2009年末のブログを振り返ると、こんな図解を残している。

今振り返ると、最初に出会った河口さんが、
企業・投資家・生活者の立場から、地球規模の諸問題を研究・提言する方だった、
というのが、私がESG投資にちょっと違った期待をいだくきっかけだったのではと。
その「ちょっと違った期待」というのが、次のポイント。

経済成長を止める必要性とその時に大切な投資哲学

投資したら保有し続けるだけ、という気楽な長期投資が成功するには、
その期間に世界経済が成長し続けるという大前提が必要。
しかし人類の経済活動が地球の限界を突破しているという警笛も鳴らされる中、
近未来においては、経済成長を捨てなければならない局面がくるはず。

そうなると世界の株式市場の時価総額は横ばい、または縮小するのでは? 
その時に投資家として生き残るにはどうすればよいか? 
真にサステナビリティに資する企業に投資することではないか?

以上のような仮説から、先んじてESG投資を学ばなければ!と考えたのだ。

しかしこの10年で「経済成長を捨てる」という考え方は現れず、
経済成長を続けるための「ESG投資」「脱炭素」が主流になっている。
私には問題の先送りにすぎないのではと思うのだが。

このまま進んでゆくと、気候変動によって、現在のCOVID-19と同様に、
「経済か、人命か」を迫られる局面が訪れる可能性はかなり高いだろう。
そこまで事態が悪化した場合、株式投資どころではなくなってしまうなぁ…

誠意ある投資信託が増えるはず

当時、私は投資信託には見向きもしなかった。
「あんなの詐欺商品ばっかり。」と公言していたほどで、
まともな投信を探すより、自分で投資先の企業を選ぶ方が簡単と考えていた。

しかし運用会社がESG投資を掲げる時代が来るとするならば、
投資家として上場企業に要求を突きつける以上、投信ビジネスが変わるはず。
そうなれば運用会社と販売会社(証券・銀行)がグルになって、
一般市民から手数料を搾取する構造が解消されるに違いない。
そして金儲けにとどまらない、投資の本質的な意義を広めようとするはずだから、
多くの人にとって株式投資が身近なものになってゆくに違いない。

というような未来像を描いていた。

だから投資家としての本業に付随する社会活動として、
ESG投資の普及を目指していたNPOの財政再建や運営も引き受けた。
しかし現状は…。だから怒りが収まらない

初心とは本来

世阿弥が「花鏡」で「初心」を語る部分は、

当流に万能一徳の一句あり。

 初心忘るべからず。

この句、三か条の口伝あり。

 ぜひ初心忘るべからず。

 時々の初心忘るべからず。

 老後の初心忘るべからず。

現代の「最初の志を忘れるな」といった意味合いとは少し違うかも。

厳密には、人生のその時々に出会う試練に、
どのような心構えでどう乗り越えていったのか? 
その時の心を忘れるな! と世阿弥は説いているだ。

そうなると、本当の初心は今この時にあるのかもしれない。

かつて「次の時代はこれだ」と思ったものが、たしかに注目はされた。
しかしその中身は自分が思い描いていたものと、だいぶ違ったものだった。
ではこれからどうすべきなのか? 考える時に「初心」が現れるのだろうか。

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