ウイルスや細菌に関する本をいろいろ読んでいると、
私たち人間の考え方は勝手だな、と痛感させられる。
COVID-19と戦う今は、ウイルスは敵だ!と思ってしまいがちだが、
私たちがここまで進化するためにウイルスは必要不可欠だったようだ。
「私たちヒトのゲノムは、32億塩基対もの長さをもつ。…ところが、この長大なゲノムのうち、遺伝子に該当するのはわずかに1.5~2.0%程度である。じつに、ヒトゲノムの最も大きな領域にあたる40%以上にもわたる部分は、かつてウイルス(ならびにそれとふるまいがよく似たもの)が感染した名残であると考えられている。もともとはウイルス(ならびにそれとふるまいがよく似たもの)がもっていた塩基配列であったらしい。」(武村政春「生物はウイルスが進化させた」)
そして私という人間は多くの生き物が生息する器にすぎず、
主導権を握っているのがどの生物なのか謎だったりもする。
「あなたの体はあなたのものである以上に、微生物のものでもあるのだ。微生物は腸管内だけで100兆個存在し、海のサンゴ礁のように生態系をつくっている。およそ4000種の微生物がひだそれぞれの小さなニッチを開拓し、長さ1.5メートルの大腸表面を覆うひだに隠れるようにして暮らしている。あなたは生まれた日から死ぬ日まで、アフリカゾウ五頭分の重量に匹敵する微生物の「宿主」となる。微生物はあなたの皮膚の上にもいる。あなたの指先には、イギリスの人口を上回る数の微生物が付着している」(コリン・アランナ「あなたの体は9割が細菌」)
ならば私という存在の内と外の境界線は一体どこにあるのか?
なるほどデカルトの「我思う、ゆえに我あり」が的を得ているように思える。
しかし意識が生じる前に0.5秒間の脳活動が必要なのだから、
私たちの意識は錯覚に過ぎないと指摘する書籍もあった。
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意識は幻想/「神々の沈黙」から「ユーザーイリュージョン」へ(13/06/29)
たとえ意識が幻想ではなかったとしても知覚の限界があり、
客観的に世界を認識することは不可能だ。(ユクスキュル「環世界」)
さらに生命維持の観点でも、人間はあまり優秀な生物とは言えない。
「ヒトは生命活動の基本中の基本とも言えるアミノ酸合成系のいくつかを欠いている。生命活動に必要な20種ほどのアミノ酸のうち9種はその合成系を欠いているか、あっても自己の維持に必要な量を作り出すことが出来ない。これらが必須アミノ酸と呼ばれるものであり、我々はこれを体外から摂取しないと生きていけない。大腸菌などの細菌や植物がすべてのアミノ酸を合成できるにもかかわらず、進化の頂点にあると自負するヒトがそれを出来ないのだ。」(中屋敷均「ウイルスは生きている」)
人間は地球上で特別な存在などというのは思い上がりにすぎない。
見方を変えれば地球にとっては、人間が厄介なウイルスのようなもの。
そしてすべての存在は宇宙の塵にすぎないのだ。
おまけ:ウイルスと細菌の違い
実は今回はじめてウイルスと細菌の明確な違いを学んだ。
以下は山内一也「ウイルスの意味論」の記述より。
- 細菌をはじめとするすべての生物の基本構造は「細胞」。細胞は、栄養さえあれば独力で二つに分裂し、増殖する。細胞が増殖できるのは、その膜の中に細胞の設計図(遺伝情報)である核酸(DNA)やタンパク質合成装置(酵素)などを備えているから。
- ウイルスは独力では増殖できない。ウイルスは、遺伝情報を持つ核酸と、それを覆うタンパク質や脂質の入れ物からなる微粒子にすぎず、設計図に従ってタンパク質を合成する装置は備えていないから。
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