古代史の専門家として様々なメディアでお見かけした松木武彦さん。
昨年63歳という若さで亡くなってしまい、この本が遺作となった。
古墳はなぜ造られたのか?
古墳を王や王権と結びつける研究は間違えと説いているのが印象的で、
「古墳群は、氏族の造営物である。氏族に属する個人が、そこへの貴族を再確認し、アイデンティティを強化するためのメディアであり、氏族の中での格付けや地位(通常は血統や出自)を墳丘の規模や形に託して並べることによって、その関係性を内外に向けて象徴し、記憶を留めるためのモニュメントが古墳群であった。」
国内のコンビニ数の約3倍も存在が確認される古墳(16万基)。
この数の多さに、当時の日本は無文字社会であることを考慮すると、
当時の人々の記憶が古墳に込められているという考え方には納得。
巨大な古墳だけを神話時代の天皇と結びつけて宮内庁が管理する、
といった謎の慣習は、正史とは無関係と考えた方がいいのだろう。
世界史の中の古墳
また世界史との関連で興味深かった話としては、
- 墳丘文化がユーラシア東西の端っこで同時に発達していること。東は朝鮮半島と日本列島、西はブリテン島やスカンディナヴィア。日本の古墳にだけ見られる特異な構造として、高く築いた盛土の頂上付近に埋葬施設を設置していること。他の墳墓は盛土の底深くに埋め込む。
- 世界各地の巨大モニュメント(ギョベクリ・テペ、アンデス文明、マヤ文明)は、まず神殿から始まり、その後に街が興っている。定住や人口増加を前提に建設されたものではなく、それを促す契機や手段とされており、日本の古墳にも同じような事例が存在する。
箸墓古墳・邪馬台国・卑弥呼の現在地
さて私にとって一番気になる古墳といえば箸墓古墳。
2017年に訪問するにあたっていろいろ学んだが、
- 箸墓古墳が卑弥呼の墓である根拠は?/白石太一郎「古墳からみた倭国の形成と展開」(17/03/20)
- 卑弥呼の墓?の箸墓古墳。その名の由来は日本書紀に。(17/04/06)
果たして本書にはどのように描かれているのか。
箸墓古墳のある纏向の立ち位置
「北部九州という文物の玄関口から山陰と瀬戸内を通って東に広がる交易網と、関東・北陸・東海から西へと延びる交易網とが重なる要地がヤマトであり、各地の氏族がそこに物資や情報を求めて出向く場所として纏向が建設されたのである。」
箸墓古墳の特殊性(250年頃建造)
- それまでの纏向の前方後円墳群を、長さにして約3倍、体積にして10倍以上もしのぐ飛躍的な存在。
- 墳丘が何段もの盛土で高く、後円部と前方部の谷間はシャープに整えられ、幾何学的な立面形が際立つ作り。
- イズモで発展した葺石、キビに期限を持つ円筒埴輪が完備。
- 埋葬施設が長大な割竹形木棺を竪穴式石室で包み、遺骸の取扱の入年度が一気に高まる。
箸墓古墳は卑弥呼の墓? 邪馬台国はどこ?
- 箸墓古墳の造営年代が卑弥呼の没年にきわめて近いのため、その墓として有力な候補になるのは確か。しかし箸墓が卑弥呼の墓である可能性が高いという判断を持って、奈良盆地に邪馬台国があったとすることはできない。
- 邪馬台国があったとされる3世紀前半、博多湾沿岸と奈良盆地・大阪平野が、人口・墳墓・物資流通といった点でつながり合っており、その一方が邪馬台国であったとしても、卑弥呼は別の一方にも深く関わり、墓の場所も2つの中から選択した可能性もある。
- 卑弥呼が中国の魏から与えられた「親魏倭王」は、あくまで国内事情を知らない中国からの「王」号。当時の倭の社会には「王」は存在せず「最高氏族長」レベル。古墳と王権とを結びつける研究には疑問符。
邪馬台国と箸墓古墳の関係性でこんな捉え方もあるのか。
あと中国側が「王」と呼んでいるからといって、
必ずしも日本に「王」と呼べる存在がいたことの証ではない。
一歩引いた視点で考えることの大切さを教えてくれる記述だった。




コメント
吉川弘文館のPR誌「本郷 2025年5月号」の下垣仁志氏の「邪馬台国が九州にあったら」に以下の様に書いてありました。「三世紀をあつかう考古学者のほとんどが畿内(大和)説をとる。実は二十世紀の末あたりから、考古学者は邪馬台国の所在地論に関心をよせていない。考古資料によるかぎり、畿内(大和)でほぼ確定済みだからだ。むしろ卑弥呼の共立にさいして、邪馬台国の中心勢力になったのは大和の在地政体なのか、畿外の特定政体なのか複数政体なのかが、この30年来の主要な論争点になっている。他方九州説は、考古学に疎いか、恣意的な資料操作に終始している人が唱えているだけである。」とありました。これを読むまで今では畿内説で決まりとはまったく知らなかったのでびっくりでしたね。大昔読んだ「日本の歴史 1 神話から歴史へ」 (中公文庫) 井上 光貞 (著)だと明らかに九州説だったんですけどね。
私も小学生の頃に吉野ケ里遺跡(佐賀)が発見されて、邪馬台国は九州で決まりかか?みたいな盛り上がりがあって、ワクワクしたのを思い出します。
21世紀に入ってから纏向遺跡(奈良)の発掘が進むにつれて畿内優勢、箸墓古墳が卑弥呼の墓だ、みたいな話に変わってきたような印象です。