本を読むときは縦書きの方が読みやすいように感じるが、
文章を書く、というかキーボードで打つときは基本的に横書き。
電子書籍のときは一太郎でわざわざ縦書きにして文章を作るが、
手書きの縦書きとはかなり性質を異にするものだ。
手書きで文章を書いていた時のことを考えると、
- 縦書き…書き終えた箇所が手で隠れるため、常に未知の余白に進む
- 横書き…書き終えた文字が常に目に入る
これはものすごく大きな差で、
文章の前後関係、言い換えれば論理的思考には横書きが不可欠。
もしかすると縦書きは日本人にとって創造の源だった可能性がある。
ディスプレイ上で縦書きにしても、書き終えた部分は常に見えている。
手書きの縦書きでなければ存在しない脳の働きがあったはずだ。
記憶にある最後の縦書きは、西芳寺での写経。
お経を書くことは、文字に煩悩を込めて捨てる作業なのだろうか。
書いた文字が手で見えなくなることは、世界から存在を消すことの象徴で、
すべて書き終えたら、お炊き上げで完全になくしてしまう、というような。
手書きの縦書きが持っていた文化的な何かについて詳しく知りたい。
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