今、歴史学が世の中にできることは何か?
パンデミックの日本史を振り返り、最近の動向と照らし合わせると、
同じ過ちを繰り返していたり、過去に結論が出ていることを議論していたり…
歴史に学ぶことの大切さがよくわかる一冊だった。
以下、江戸時代の感染症とスペイン風邪に絞ってメモ
江戸時代のパンデミック
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将軍を伝染病から守るため、天然痘・麻疹・水疱瘡は法定伝染病に感染した幕臣は、江戸城への登城を35日間「遠慮(自粛)」。法定伝染病の制度があった。
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1859年の「コレラ」大流行の際に町奉行が医薬品を配布。江戸期にはすでに医療福祉を行う社会だった事実は評価できるが、薬自体は効果はなく「安部のマスク」に似ている?
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現代の定額給付金に似た「救い米」の一律給付があった。不正受給の懸念を示す家臣に対し、「多少だまし取られるのは仕方ない。人を死なせてしまうのが大悪。」と説いた殿様もいた(岡山藩・池田光政)
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江戸時代には「麻疹(はしか)」の大流行が13回。20年に1度のペースで流行した計算。ワクチンがない時代の伝染病は、流行→集団免疫獲得→世代交代→再び流行・・・の繰り返しだった。
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幕末の麻疹流行は長崎から全国へ。この時は朝廷でも感染者が続出し大混乱。もともと攘夷論者だった孝明天皇がその意思を固くした。
スペイン風邪
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第一次大戦のさなか、米価が高騰し、米騒動が勃発。国民や経済に負担を強いる感染予防の規制をためらい、パンデミックを引き起こした。(原敬内閣)
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京都には修学旅行客の流入が止まらず、東京を除いて最も死亡率が高かったのは京都市だった。
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当時の女学生の日記を読み解くと、修学旅行はもちろん、運動会やお茶の稽古すら中止になっていなかった。
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原敬も産業界や財界の大物との晩餐会をこなす中で感染。2,3日で熱は下がるが、数ヶ月にわたって体調不良に悩まされたことが日記から読み解くことができる。
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志賀直哉は自粛を守らなかった女中を解雇しようとするが、後に自分が感染し、その女中に救われて反省。一度感染症にかかって免疫を獲得した人の労働力は大切。
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