もてなせば買収可能? 疫病神退散の日本文化

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天然痘に襲われた平城京で行われた「道饗祭(みちあえのまつり)」。
病気をもらたす疫病神をもてなして帰ってもらおうという祭祀。

先日その存在を初めて知って、おもしろいなぁと思ったけど、
そういえば京都の祇園祭も、この道饗祭と似た感じ。

祇園祭は古くは祇園御霊会と呼ばれ、
疫病が流行した869年に災厄の除去を祈ったことがはじまり。
祇園祭では「蘇民将来子孫也」の護符が配られ、その由来は、

「八坂神社御祭神、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)が南海に旅をされた時、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなしました。蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、疫病流行の際「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されました。」(八坂神社ウェブサイト

この話は「備後国風土記逸文」にも記録が残るもので、
神様をもてなせば病気にかからず済むと考えるのは、
日本に特徴的な考え方なのかもしれない。

日本の神の特徴を折口信夫は「マレビト」と呼んだ。
マレビト(客人・稀人)。つまり日本人にとって神様は客人。

神様がホスト(主)ではなくゲスト(客)

だから相手が疫病神であっても、もてなせばなんとかなる。

今は神社で蘇民将来の子孫でもないのに、
「蘇民将来子孫也」の護符を戸口に貼るだけで、もっと適当。

でも玄関は外の世界と安全な聖域との境目であり「結界」。
そんな感覚が生きているのだろうなとも思う。

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