GDP算出方法の変遷と課題/ダイアン・コイル「GDP」

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先月ピケティ「21世紀の資本」を再読したのをきっかけに、
みすず書房の経済書から面白そうなタイトルを選んで読み続けている。

続いて読んだのがGDPの算出方法の変遷を描いた一冊。

GDPの中身については特別吟味もせず、
経済を知るための統計データとして何気なく使っているが、
算出方法の変遷と課題を知ることができる良書だった。

GDP算出方法の見直しの一例

GDP算出方法の見直しについては適宜実施されており、
たとえば下記のような研究開発費の事例を知ると、
GDP±1%未満の動きに一喜一憂することの愚かさがよく分かる。

「中間財購入と投資支出の線引きはいつでも明確なわけではない。2008年以前の国民経済計算では、企業の研究開発費は原材料や洗剤を買うのと同じような扱いだった。つまり、最終的な産出に含まれない中間財ということだ。しかしその後、研究開発費は投資に含めるべきという方向に変わってきた。この方針転換はすでに(1993年から)理論上は採用されており、ソフトウェアヘの支出は投資に分類されることになっている。これにより、国によってはGDPが1~4%上昇した。ただし実際には変更をきちんと適用するのは難しい。多くの企業がソフトウェアの購入を投資として記録していないからだ。」

金融業の生み出す価値の測り方に問題あり?

著者がGDP算出方法で一番の問題と考えているのが、
金融業のGDPへの貢献度を過大評価しすぎていること。

それにより政治家たちが金融業界が雇用や経済成長に不可欠と信じ、
金融危機の間の政治判断に大きな影響を与えていたからだ。

「1993年版の国連SNA基準で導入され、現在も使われているのが「間接的に計測される金融仲介サービス(FISIM)」という概念だ。この考え方では、銀行が資金を借りるときと貸すときの利率をそれぞれリスクフリーの「参照利子率」(中央銀行による政策金利など)と比較し、利率の差を各残高に掛け合わせて銀行の生みだした価値を算出する。実際の計算はとても厄介で、 とくにこの数字をインフレ調整後の実質ベースに変換するのはかなりの難題だ。それでも定義上は、銀行のサービスをリスクの引き受けによって測定するという点で筋が通っている。」

つまり金融機関がリスクを大きく取るほど、GDP成長率を押し上げることになる。
それはすなわちバブル形成を助長し、その後にやってくる不景気を深刻にする。

そして先の金融危機直前には以下のような過大評価が観測されるという。

「アメリカのある研究は次のように述べている。「これは控えめな見積もりだが、現在の公式な手法は、1997年から2007年までに商業銀行業のサービスによるアウトプットを少なくとも21%は過大評価しており(これは2007年第4四半期でいえば1168億ドル分)、GDPについては0.3%(2007年第4四半期でいえば529億ドル分)過大評価している」。ユーロ圏についていえば、銀行のリスク負担分を差し引いて調整した場合、金融業のアウトプットは25~40%減少するという。イギリスで同様の調整をした場合、2008年のGDP全体に占める金融業の割合は9%だったものが6~7.5%にまで下がることになる。これはかなりインパクトのある数字だ。近年の金融業界全体の大きさが、少なくとも20%、場合によっては50%も過大評価されていたのである。」

統計手法はもちろん、そもそも金融をGDPに含めるべきなのか?

「生産的」な活動とは、いったい何を示しているのか?

そして経済における価値とはそもそも何なのか?

と著者の考察は進んでいく。

これからのGDPのあるべき姿は?

かつて国民所得計算と格闘していたサイモン・クズネッツ(1901~85)は、
1937年にこんな言葉を残しているという。

「本当に価値のある国民所得計算とは、強欲な社会よりも先進的な社会思想の見地から見て益よりも害であるような要素を、合計の金額から差し引いたものであると思われる。軍事費や大部分の広告費、それに金融や投機に関する出費の大半は現在の金額から差し引かれるべきであり、また何よりも、我々の高度な経済に内在するというべき不便を解消するためのコストが差し引かれなくてはならない。都市文明特有の巨額の費用、たとえば地下鉄や高価な住宅などの価格は、通常は市場で生みだされた価値として扱われる。しかしそれらは実のところ、国を構成する人々の役に立つサービスではなく、都市生活を成り立たせるための必要悪としての出費でしかない(つまり生活のための出費ではなく、事業のための出費が大半なのである)。そうした要素を国民所得計算から除外することは困難を伴うけれども、それによって国民所得計算におけるサービス生産量の把握は確実に精度を増し、時代と国のちがいを超えて比較するに耐える尺度となるはずである。」

つまりクズネッツが目指していたのは生産量の測定ではなく、
国民の経済的な豊かさを測定することだった。
それから80年経った今もこの問題は解決されていない。

これまでGDPに変わる豊かさを測る指標が提示されてきたが、

  • ISEW(Index of Sustainable Economic Welfare)
  • GPI(Genuine progress indicator)

といった目新しい指標は、

GDP算出に使える労力を削ってまで取り組むほど有益ではなく、
著者によればOECDの「BLIBetter Life Index」が、
現時点でもっともよくできた指標とのことだ。

そして目新しい指標をつくるよりもすべきこととして、

「幸福度についてアンケートをとるのも結構だが、それより先にやるべきことがあるはずだ。国連はまず、GDPの仕様からFISIMという金融サービスの無理やりな計測方法を取り除き、もっとシンプルなアプローチに戻してはどうだろう。また国の統計機関は人々の時間利用調査を定期的に実施し、経済のインフォーマルな部分をもっと把握したほうがいい。」

経済のインフォーマルな部分というのは、
もちろん税金や規制の外に存在する地下経済も含まれるが、
家事をはじめとする無償労働の取り扱いのことを指している。

家事サービスが生産(付加価値)としてGDPに算入されるかどうかで、
現在のGDPの数値は50%も跳ね上がる可能性も秘めているという。

また近年はクリエイティブな職業では仕事と遊びの境界線が薄れつつあり、
有償労働とそれ以外の無償労働との線引きもどんどんあいまいになっている。

GDPの算出方法ではなく、経済における価値とは何なのか?
を議論することが大切だ、という主張で結ばれている。

GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史
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GDPはインデックス投資家に有益な指標

以上のようにGDPにゆがみがあるとはいえ、
全世界の株式へのインデックス投資で資産形成を目指す投資家には、
非常に大切な指標であることは以前も紹介した。

繰り返しになるが、世界の株式時価総額とGDPの推移を並べて、
株式が下へ乖離している時期が投資のチャンスと考えられる。

何も考えずに毎月同額を積立投資するのではなく、
このような簡単な基準を元に多少は手を加えた方が、
より豊かな老後を迎えることができるだろう。

統計データの出典は、

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