神話をモチーフにした「Fate/Grand Order」が人気という話題をまとめたら、
読み返したくなるのが、神話学者ジョゼフ・キャンベルの対談本「神話の力」。
ジョゼフ・キャンベル(1904~1987)は、
世界中の英雄伝説にはたった一つの母型があることをつきとめた人物。
それが簡潔にまとまっているのはこの一節。
「ふつう英雄の冒険は、なにかを奪われた人物、あるいは自分の社会の構成員にとって可能な、または許されている通常の体験には、なにか大事なものが欠けていると感じている人物の存在からはじまります。それから、この人物は、失ったものを取り戻すため、あるいはなんらかの生命の霊薬を見つけるため、日常生活を超えた一連の冒険の旅に出かけます。たいがいそれは、どこかへ行ってまた戻ってくるというサイクルを形成しています。」
単純化すると以下の三段階となり、
- セパレーション(分離・旅立ち)…主人公が人為の及ばぬ超自然的な領域へ旅立つ。
- イニシエーション(通過儀礼)…旅の道中で様々な困難に立ち向かい勝利する。
- リターン(帰還)…主人公が故郷へ帰る。
私たちに最もなじみ深いこの型の物語が「桃太郎」。
そして学生時代にキャンベルの授業を受講したジョージ・ルーカスが、
「スター・ウォーズ」のシナリオに反映して大ヒットしたのは有名な話。
神話はなんのため?
もちろんキャンベルの神話研究は、
映画監督や脚本家を大儲けさせるためのものではない。
どう生きるべきか? それを神話から学べと訴えているのだ。
「人々はよく、われわれみんなが探し求めているのは生きることの意味だ、と言いますね。でもほんとうに求めているのはそれではないでしょう。人間がほんとうに求めているのは『いま生きているという経験』だと私は思います。私たち自身のうちにそういう喜びを見い出す助けとして神話があるのです。神話は人間生活の精神的な可能性を探る鍵です。」
「神話は、なにがあなたを幸福にするかは語ってくれません。しかし、あなたが自分の幸福を追求したときにどんなことが起こるか、どんな障害にぶつかるか、は語ります。」
聖杯伝説について
Fateといえば「聖杯」というイメージがあるため、
キャンベルが聖杯について語っていた部分からいくつか。
手にした者の願いを叶える「万能の願望器」ではなく、
聖杯は人生を象徴するもの、というのがキャンベルの主張だ。
「聖杯の起源に関しては、とても興味深い説があります。ある初期の著述家は、聖杯は天国から中立的な天使たちがもたらしたものだと言っています。天国での神とサタン、善と悪との戦いの最中に、天使の群れの一部はサタンの味方になり、一部は神の味方になりました。聖杯はその間隙をぬって、中立を保つ天使たちによって運び出されました。それは対立し合うもののあいだにある道、不安と願望の中間、善と悪との中間にある精神的な小道を象徴しています。」
「聖杯はほんとうの人生を象徴するものになります。その人生とは、自分自身の意思によって営む生活であり、善と悪、光と闇という対立の中間を進みます。人生におけるあらゆる行為は、結果として互いに対立するものを生みます。私たちにできる最善のことは、光に近づくこと、苦しむ者への思いやりや他人に対する理解などから生じる平和な人間関係に近づくことです。それが聖杯の本質的な意味です。」
「中世の神話で重大な瞬間は、思いやりの心に目覚めた瞬間です。受難”passion”を、共に苦しむこと”compassion”へと変容させた瞬間です。聖杯伝説が扱っているのはすべてそのこと、傷ついた王への思いやりの心です。」
悟りとは
この本の中で一番気に入ったキャンベルの表現はこの一節。
「悟りとは、万物を貫いている永遠の輝きを認めることです。」
そして悟りを目指すために神話や古典が必要なのだ。
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