言語と思考/神田邦彦「現代文 標準問題精講」

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2年前に現代文という科目を学ぶことの意義を悟り、

ついに大学受験用の問題集にまで手を広げてしまった。

章ごとにテーマが決められ、5つの問題文が提示される。
それを解くことで、世界を読み解く方法を手に入れることができる。
せっかくなので学習メモに。

知性の限界・学ぶことの意義

福岡伸一「世界は分けてもわからない」を題材に学ぶ

私たちは本当は無関係な事柄に、因果関係を付与してしまうことでしか、ものを見ることができない。なぜならそれが人類がランダムに推移する自然現象を無理にでも関連付けることで安心する方法、すなわち生き残るために手に入れた方法だから。

ゆえに人の認識した関係の多くは幻想にすぎない。ならばできる限り多くの物の見方を知ると同時に、それが一つの見方に過ぎないことを知る。それが学び続けることの真価のひとつである。

私の異常な遠回り

高校時代にまじめに現代文を学ばなかった私は異常な遠回りをした。

経済・社会の動きには何かしらの規則性があるはず!
とリーマン・ショックを機に経営学の大学院にまで行ってみたが、
この分野とくに投資関係にまつわる理論は、
過去を必死に説明しているだけにしか思えなかった。

さらにはユクスキュルの「環世界“Umwelt”」を知り、
33歳にしてようやく高校生レベルの思考にたどり着いたのだった。

回り道にこそ人生の醍醐味がある!という考え方もあるので、
時間を無駄にしたと斬り捨てる気はない。

言語が違えば世界が違って見える

鈴木孝夫「ことばと文化」を題材に学ぶ

私たちはモノという存在がまずあり、それに名称が付けられるという順序が常識だと考えている。しかし本来は逆なのではないか?

たとえば虹は日本では七色だと考えられているが、五色と認識する国や六色と認識する国もある。つまり言葉の構造や仕組みが違えば、認識する対象もそれに応じて変化しているのだ。またその対象を表現する言葉がなければ、そのものが眼に入らないのではないか。

私たちの色彩感覚は言語によって磨かれた

古代ギリシア詩人ホメロスが描いた「イリアス」「オデュッセイア」や
古代インドの宗教詩「ヴェーダ」には色に関する記述がほとんどない。
また時代はだいぶ後になるが、日本でも「古事記」の色彩は乏しい。

ガイ・ドイッチャー「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」によれば、
多くの言語は下記の順で色名を獲得していったらしく、

  1. 黒と白

日本で緑色なのに青信号と呼んだりするのは、
緑と青を分ける言語が後発だったことに由来するのだろうか?

言語表現は本質的にフィクション

香西秀信「事実は配列されているか?」を題材に学ぶ

言葉による表現は、本来は順序の付いていない事実であっても、そこになにがしかの順序を付けなければ、それを提示することができない。たとえば、

  • A子は美人だが性格が悪い。
  • A子は性格が悪いが美人だ。

というように情報として等価であっても同時に表現することができないため、それが提示される順序によって、聞き手・読み手に与える印象が異なってくる。

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