安土城跡を再訪の予習に読んだ、
第一版が2004年、改訂版が2025年なので内容は新しい。
初回訪問時は暑さでバテバテの上、勉強不足だったので、
メチャクチャな覚書を残していることが判明。
- 安土城跡を訪れて感じた信長像(19/10/01)
とくに大手道の石段で石仏が使われていたことに驚き、
なるほど神仏を恐れぬ信長らしいと感じた。
しかしそれは現代人のよくある間違えだったのだ。
本書の内容から頭に入れて再訪したい部分をメモ
- 1989年から発掘・復元された大手道。側溝含め幅9mで直線的に180m登る道だが、正面門とされる伝黒金門に接続しておらず、記録も伝承も残っていない謎の道。
- 大手道の左右から発掘された伝秀吉邸跡、伝利家邸跡は、家臣団の屋敷なのかは不明。記録では重臣はすべて城下町に住んでいた。
- 築城当時の安土山は三方を湖水に囲まれていた。1947年の干拓事業で埋め立て。
- 初回訪問時に階段の石に石仏が使われていたことに驚いた。しかし当時は安土城に限らず、石仏や墓石の転用はよくあることとのこと。この部分だけを取り上げて、神仏を恐れぬ信長像と結びつけるのは誤り。
- 安土城における石垣の意義は、寺院に囲い込まれていた石垣技術者を解放したこと。
- 瓦の製作技術も石垣と同様。瓦に金箔を貼ったのは安土城が最初。信長の瓦は凹部のみに金箔を貼った高い技術が必要なもの。後に秀吉が瓦全体に金箔を貼らせたが技術的には後退。

















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