安土城跡を訪れて感じた信長像

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安土城跡の散策が予想外に辛かった。
もちろん訪問当日が運悪く、気温30度近かったこともあるのだが、
以下のような事前の勝手な思い込みがあった。

  • 信長は経済政策重視した人だから、そんなに高い山に拠点を置かないはず
  • 安土城は魅せる城で戦うための山城ではないはず

でも天守跡まで登ると景色こんなんだもん。。。

山城と平城の間くらいで十分戦えそうな城だな、と感じると同時に、
ふと「信長公記」1581年7月15日の記述を思い出した。

「七月十五日、安土城の天主閣および摠見寺にたくさんの提灯を吊るさせ、また、お馬廻り衆を新道に配置し、または入り江に舟を浮かべさせて、それぞれに松明を灯させた。城下一帯が明るく、灯は水に映って、言いようもなく面白く、見物の人々が群れ集まった。」(現代語訳 信長公記

こうした「火のイルミネーション」の演出には、
それなりの高さの山に天守閣がなければ映えない。
権力誇示のための城が平城の訳がないか。。。

また比叡山延暦寺を焼き討ちしたことから、
「神をも恐れぬ」と評されることの多い信長。
その実像が垣間見られるものが安土城跡にも残っていた。

天守に向かう大手道の石段には、なんと石仏や墓石も含まれており、
仏像の形が分かる石にいくつも出会った。
石仏を破壊した上に踏みつけてしまうという。。。

その一方で自らの菩提寺として安土城郭内に摠見寺を創建しており、
よく分からない一面もある。
ちなみに摠見寺の楼門と三重塔は重要文化財として当時のまま残っていた。
(てっきり安土城が焼失したときに全部なくなったものと思っていた)

「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもので、
本を読んだだけでは勝手な思い込みにつながるということを学んだのだった。

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