著者はNHK「100分de名著」のダーウィン「種の起源」の講師。
岩波ジュニア新書だから読みやすいかな?と手にとった。
進化論に対して世間が大きく誤解している点が2つあるという。
- 自然淘汰が適応を生み出すように目的を持って働いている
- 進化が起こると生物はだんだん進歩していく
まず1つ目に対する著者の説明は、
「自然淘汰が働く大前提は生き物の間に遺伝的な変異があることです。それらの変異の中にあるものが、他のものよりも環境に適しているとなると、自然淘汰が働きます。しかし、そもそも生き物の間に存在する変異は、環境とは無関係に生じてくるものです。変異は遺伝子の配列に生じる物ですが、遺伝子は、まわりの環境がどうなっているかなど知るよしもありません。」P50
自然淘汰に目的はないということ。
遺伝的変異が「たまたま」環境に適応しただけ。
また2つ目の進化に対する誤解について著者は、
「進化とは、生物が時間とともに「変化」していくことであって、その変化は必ずしも「進歩」であるとは限りません。・・・自然淘汰に目的はないのだし、進化は、人間という「高等な」生き物を生み出すように進歩を重ねてきた過程なのではありません。」P52
進化は進歩とは別物で変化にすぎないと指摘する。
となるとチャールズ・ダーウィンの「進化論」から派生した
- ハーバード・スペンサーの社会進化論
- フランシス・ゴルトンの優生学
あたりは見当違いの応用だったということになる。
そういえば以前読んだ本で、
「人が美しいと感じるもの=遺伝子を残すのに最適」
が説かれていたが、
遺伝子が意思を持つように語られはじめたの原点は、
リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」あたりからかな。
また長期的に最良の遺伝子が生き残るなんて表現の仕方にすると、
なんだか投資の分野でもどこかで聞いたことのある台詞だ。
ところで古生物学者デイヴィッド・ラウプが言うには、
- 現在地球上に生息している生物種は400万種以上と推定
- これまで地球上に出現した生物種の総数は50億から500億
生物種の99.9%はすでに絶滅してしまっており、
「長い地球の歴史のなかで、これまでに何十億もの種が絶滅してきた。それらは、適応面で劣っていたせいで絶滅したのだろうか、それとも単に間違った時期に間違った場所にいたせいで絶滅したのだろうか。」
という問題提起をしていた。(※参考:吉川浩満「理不尽な進化」)
生物の生き残りに「運」はつきものということだ。
進化も自然淘汰も拡大解釈されすぎた。
最後にダーウィンについての有名な大間違いをひとつ。
「種の起源」の名言としてコラムなどで引用される
「もっとも強いものが、あるいは最も知的なものが、生き残るわけではない。もっとも環境の変化に対応できたものだけが生き残る。」
という言葉は、後世の要約本に登場する曲解。
正しくは(光文社古典新訳文庫 上巻P224より)、
「生物の生存にとって有用な変異が実際に起こるとすれば、そのような形質をもった個体は、生存闘争において保存される可能性が間違いなく最大になるだろう。・・・このようにして個体が保存されていく原理を、私は略して自然淘汰と呼んでいる。・・・自然淘汰は、形質の分岐も引き起こす。それは生物が構造、習性、体質面で分岐すればするほど、一つの地域に生息できる生物が増えるからである。・・・多様化した子孫ほど、生きるための闘いで勝利する可能性が高くなることだろう。」
多様な子孫を遺しておけば、環境が変わっても生き残るだろう、
くらいのゆるい表現で、自ら変化し環境に適応するとは説いていない。
進歩や革新が感じられる人生や社会でありたい。
そんな私たちの願いが進化論を曲解し、呪縛となって、
多分野に広がっていったのだろうね。
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