網野善彦「日本の歴史をよみなおす」。
3年以上前に買った本だけど、読み直すたびに発見がある。
多彩な切り口で日本に迫るところが魅力的。
日本社会の場合、金融の起源は「出挙(すいこ)」にあると指摘。
「出挙は、稲作と結びついており、最初に獲れた初穂は神に捧げられますが、それは神聖な蔵に貯蔵される。・・・この蔵の初穂は、次の年、神聖な種籾として農民に貸し出される。収穫期が来ると、農民は蔵から借りた種籾に、若干の神への御礼の利稲(利息の稲)をつけて蔵に戻す。」(P60)
日本最古の金融は「神」と密接に結びついたものだった。
また市場と神とを結びつける記述も目をひく。
平安時代には虹が立つと市を立てる慣習があったという。
「虹が、あの世とこの世、神の世界と俗界とのかけ橋なので、そこでは交易をおこなって神を喜ばさなくてはいけないという観念があったのではないか。」(P57)
資本主義と神との関わりといえば、西洋のマックス・ウェーバー。
日本でも神との関わりは密接なものだったわけだ。
最近見てきたように、室町時代の商業は仏教との関わりが深く、
日明貿易で輸入される美術品(唐物)の目利き同朋衆は、
鎌倉仏教、一遍の時宗に由来する「阿弥」集団だったし、
応仁の乱後の京都の町衆の間は日蓮の法華教が浸透していた。
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しかしその後の戦国時代、仏教勢力も利権を争い戦いに明け暮れ、
南蛮渡来したキリスト教徒に庶民の心を奪われてしまったり、
「キリスト教は伝統的な宗教である仏教と激しく対決したにもかかわらず、伝道後数十年にして信者が九州の全人口の30%を超える30万人に達していた。」---若桑みどり「クアトロ・ラガッツィ」P56
江戸時代には「士農工商」と商人が最低の身分におかれ、
仏教や商業の社会的地位は著しく低下していった。
仏教に至っては明治維新後の廃仏毀釈なんてことも起こる。
網野氏はこんな指摘をしている。
「商業、交易、金融という行為そのもの、あるいはそれにたずさわる人々の社会的な地位の低下と、宗教が弾圧されてしまったということとは、不可分なかかわりをもっていると考えられますが、それが近代以降の日本の資本主義のあり方にどのようにかかわってくるかというところまで見通す必要がある。」(P80)
もしかしたら日本で投資に対するイメージが良くないのは、
こんなところにも背景があるのかもしれない。
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