徒然草の「あらまほし」生き方

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徒然草には「あらまほし」がよく出てくる気がしたので編集。

「あらまほし」は今の言葉で「こうありたい」って感じだから、
集めてみれば兼好法師の人生観が見えてきそうじゃない。

やっぱり目につくのは隠遁生活への賞賛で、

  • ひたふるの世捨て人は、なかなか、あらまほしき方もありなん。(第1段)
  • 人と生れたらんしるしには、いかにもして世を遁れむ事こそ、あらまほしけれ。(第58段)
  • 朝夕、無くて叶はざらん物こそあらめ、その外は、何も持たでぞ、あらまほしき。(第140段)
  • 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、仮の宿りとは思へど、興あるものなれ。(第10段)

人として生まれたからには、世俗を逃れることが望ましく、
朝夕の生活に必要なもの以外は何も持たないのが理想。
また、家を持つのなら身の丈にあった造りがいい。

このほか今にも通ずる、ごく一般的な話題もあり、

  • 人は、容貌・有様の優れたらんこそ、あらまほしかるべけれ。(第1段)
  • ひたすら戯れたる方にはあらで、女に容易からず思はれんこそ、あらまほしかるべき業なれ。(第3段)

人はもちろん容姿が優れてる方がいいに決まってて、
男であれば、だらしなく女を追いかけてはいけない。

  • 不幸に、愁へに沈める人の、頭おろしなど、ふつつかに思ひ取りたるにはあらで、有るか無きかに門鎖し籠めて、待つ事もなく明し暮らしたる、さる方に、あらまほし。(第5段)
  • 是法法師は、淨土宗に恥ぢずといへども、学匠をたてず。ただ明け暮れ、念仏して、やすらかに世を過ぐすありさま、いと、あらまほし。(第124段)

不幸にあっても取り乱さず、静かに日々を過ごすこのが望ましく、
たとえ名声を手にしても、いばらず修行を続けたいもの。

いろいろ自らの好み(あらまほし)を示した兼好法師は、
読者へこんなメッセージを残している。
もしもあなたの胸に「あらまほし」と思う生き方があるのなら…

一生のうち、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひすてて、一事を励むべし。一日の中、一時の中にも、あまたのことの来たらん中に、少しも益の増さらんことを営みて、その外をばうち捨てて、大事を急ぐべきなり。いづかたをも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず。」(188段)

いちばん大切なものを選んで、後のことはすべて捨てなさい。
あれこれ抱え込んでいたら、何一つ成し遂げることはできない。

スティーブ・ジョブズの「今日が人生最後の日だとしたら」と話は同じ。

I’ve looked in the mirror every morning and asked myself: “If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something.

人生は思いがけないかたちで終わってしまうもの。
刹那を生ききる大切さをいつも忘れないこと
これこそが「あらまほし」生き方なんだろうなぁ。。。

※関連記事…生きてある日は今日ばかり/徒然草の死生観

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