北大路魯山人は伝説の高級料亭「星岡茶寮」のイメージから、
たいそう豪華な食生活を送っていたように思われるが、
「手のこみ入ったものほどいい料理だと思ってはいないか。高価なものほど、上等だと思っていないか。」
という言葉が表すように、
手に入れやすい旬の食材を吟味し、その持ち味を生かす調理が肝だった。
もっとも食材の輸送や料理を彩る器選びに収益度外視の費用をかけたことで、
魯山人は星岡茶寮の顧問の座を追われることになるのだが…。
また食材や調理に加えて大切な要素として「愛情」をかかげ、
「料理と言いますものは、好きで作るというのでなくてはなりません。それが趣味であります。ただ知ってうまく作るという知識だけではなく、暖かい愛情で楽しみながらやるという気持ちであります。」
家庭料理への想いが強かったことがうかがい知れる言葉を多く残している。
「私たちの考えていますことは、日常料理の美化であります。ふだんの家庭の日々の料理を、いかに美しくしてゆくかということであります。」
「家庭の料理、実質料理、一元料理(あなたのために作りたいという愛情料理)、そこにはなんらの思惑がはさまれていない。ありのままの料理。それは素人の料理であるけれども、一家の和楽、団欒がそれにかかわっているのだとすれば、精一杯の、まごころ料理になるのである。味噌汁であろうと、漬けものであろうと、なにもかもが美味い。それを今日の簡単主義と、ものぐさ主義が、商業料理へ追いやってしまって、家庭の料理は破滅に陥ったのである。」
「家庭の料理が滅びることは、それだけ心身ともに不健康な人間が多くなることだ。」
もちろん生後間もなく里子に出された出自が背景にあるのだろうが、
魯山人の指摘は現代社会に対する警告のようにも感じられる。
最近、常備菜レシピのような作りおきや、
土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」が注目されるのは、
忙しくても料理は手づくりで、という危機感の現れなのだろうか。
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