今年も鮎(あゆ)を食べなかったな。
鮎は弥生時代頃から、日本人が好んで食した魚。
奈良時代の古典から「鮎」にちなんだ話題をいくつか。
古事記(712年)では神功皇后が朝鮮遠征の帰り道に、
佐賀県・玉島川のほとりで鮎釣りをして、食事をしたとの記述。
ちなみに日本書紀(720年)では同じ部分の記述は、
朝鮮に渡る前に「この遠征が成功するなら針に魚よかかれ!」
と神功皇后が釣り糸をたらすと鮎が釣れた、となっている。
こんな逸話もあって、「魚」に「占」で「鮎(あゆ)」と書く。
ちなみに中国では「鮎」と書くと「ナマズ」なんだって。
そして神聖なはずの鮎釣りは、
万葉集の和歌になると主題が「恋」にすり代わってしまう。
大伴旅人の万葉集の和歌(855-863)は、
鮎釣りをする女性へ送る恋歌ではじまり、
- 松浦川の 瀬光り あゆ釣ると 立たせる妹が 裳の裾濡れぬ
- 松浦なる 玉島川に あゆ釣ると 立たせる子らが 家路知らずも
- 遠つ人 松浦の川に 若あゆ釣る 妹が手本を われこそ枕かめ
これに対する娘の返歌
- 若あゆ釣る 松浦の川の 川波の並にし 思はばわれ 恋ひめやも
- 春されば 我家の里の 川門には あゆ子さ走る 君待ちがてに
- 松浦川 七瀬の淀は 淀むとも われは淀まず 君をし待たむ
後にこのやりとりを聞いた人の感想は、
- 松浦川 川の瀬速み 紅の裳の 裾濡れて あゆか釣るらむ
- 人皆の 見らむ松浦の 玉島を 見ずてやわれは 恋ひつつおらむ
- 松浦川 玉島の浦に 若あゆ釣る 妹らを見らむ 人の羨しさ
という鮎を介したストーリー仕立てに編集されている。
神功皇后の鮎釣りの舞台、玉島川(松島川)が恋の舞台に。。。
この歌を詠んだ大伴旅人は万葉集の編者、大伴家持の父親。
大伴家持は鮎が好物だったようで、
- 鵜川立ち 取らさむ鮎の しがはたは われにかき向け 思ひし思はば
この時代、すでに鵜飼い(鵜川)で鮎を取る習慣があり、
私のことを覚えているなら鮎を送ってよとねだる歌(4191)や、
亡き妻にも鮎を食べさせたかった!と嘆く歌(3330)を詠んでいる。
そんな流れで父、旅人の鮎・和歌集を掲載したのかもね。
文化にも織り込まれた日本の伝統食、鮎。
よくよく考えると、私は地元の「鮎ラーメン」しか食べたことがない(苦笑)
魯山人先生によると、
「うまく食うには勢い産地に行き、一流どころで食う以外に手はない。一番理想的なのは、釣ったものをその場で焼いて食うことだろう。」
鮎は生きたまま焼かないと、ふっくら焼けず、食べた時に骨も口に残る。
また串の刺し方も難しく、焼き魚の登竜門と言われているんだとか。
東京で美味しく鮎を食べるのは難しいのかな…、来年こそは。。。
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