キャス・サンスティーン「最悪のシナリオ」

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キャス・サンスティーン最悪のシナリオ」。
リチャード・セイラーダニエル・カーネマンとの共著で、
著者の名前を見かけたことがあったので読んでみた。

テロと気候変動、オゾン層破壊と気候変動。
それぞれの対応を比較したとき、同じように最悪のシナリオであるにも関わらず、
前者には過剰に反応し、後者には関心が払われなかったのはなぜか?

「まれな事象が実際に起きると、客観的な分析よりも著しく大きな影響をその後の判断に与えることが多い。しかし、まれな事象が単に可能性として考えられるだけでまだ実際に起きていない場合には、人の行動が受ける影響は、客観的な分析よりもずっと小さい。その理由は、その事象がまさにまれだからであり、自分がかつて遭遇したことはないので、そのような事象は無視しても大丈夫と判断するからだ。自分自身が経験した場合には、人はまれな事象に対して過小反応と過剰反応の両方のパターンを示すが、過剰反応は脅威に遭遇した直後の人に起きる。」P62

「派手な事象の想起容易性や想起困難性の結果として、発生確率に関する評価はきわめて不正確になることがある。一方、確率の評価自体がほとんどなされないこともある。強い感情がかかわる場合には、特にそうなりやすい。最悪の事態が起きる確率ではなく、最悪のシナリオそのものが思考と行動に影響を与えるのだ。確率には、実は大きな意味があるはずなのだが。」P67

以上のように思い描くことが容易かどうかで、
将来のリスクに対する私たちの身構え方が変わってしまう。

テロのリスクは9.11以降、将来起きる確率を度外視して政策対応がされ、
オゾン層破壊リスクは皮膚ガンが想起しやすく、消費者が過剰に反応した。

こうした想起容易性バイアスや確率無視などによって、
たまたま社会的に注目された特定のリスクに対して、
費用対効果を度外視して過剰な政策対応をするのは間違っていないか?
将来のリスクに対して予防措置を行う際の原則が必要なのでは?
というのが著者のメッセージ。

ちなみに原書は2007年出版の“Worst-case Scenarios”。
日本語訳は東日本大震災後の2012年に出版され、
今年2022年に新装版として復刊されるという…。

原発やCOVID-19に対する日本人や政府の反応や対応に物申す、
という出版社からのメッセージも込められているように感じるのだった。

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