1918~20年に多くの死者を出したインフルエンザによるパンデミック、
「スペイン風邪」について、これまで下記から学んだことをいったんまとめ。
- 石弘之「感染症の世界史」(洋泉社・2014年→角川ソフィア文庫・2018年)
- 中屋敷均「ウイルスは生きている」(講談社現代新書・2016年3月)
- ETV特集「パンデミックが変える世界~歴史から何を学ぶか~」(2020年4月4日放送)
名称の由来
この病気が世界的に蔓延し始めた1918年はまだ第一次世界大戦の最中。
自軍に不利な情報は厳しい報道統制下にあり、感染状況が秘匿されていたが、
第一次世界大戦に参戦していなかった中立国スペインでは大きく報じられた。
これにより広く知られることとなり「スペイン風邪」の名で呼ばれるように。
世界の状況
感染者と死者数
当時の世界の人口は約18億人のうち3割ちかくが感染。
死亡率は地域によっては10~20%になり、
死者数は控えめな推定でも約2000万人、多いものでは約1億人。
比較対象として第一次世界大戦での死者数は、
戦闘員が約850万人、非戦闘員が約650万人。
年代別死亡率の特徴
一般的にインフルエンザは乳幼児や高齢者が多く感染し、
年代別の死亡率をグラフに描くと両端で割合が高くなるためU型となる。
しかしスペイン風邪では、20代、30代が次々と感染し、
犠牲者となったため、グラフはW型となったことが特徴的。
日本国内の状況
感染者と死者数
内務省衛生局(厚生労働省の前身)が1922年に編纂した
「流行性感冒─「スペイン風邪」大流行の記録」によると、
国内の感染者は2300万人を超え、死者の合計は38万6000人。
- 1918年11月をピークとする第一波…死亡者数25万7363人、患者の死亡率は1.22%
- 1920年1月をピークとする第二波…死亡者数12万7666人、患者の死亡率は5.29%
当時の日本の人口は5666万人。
日本では記録が少なく関心が薄いのはなぜか?
「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」の著者、速水融は、
- 関東大震災と比較して風景が変わらなかった
- 第一次世界大戦への関心の方が勝っていた
- 超有名人の命を奪わなかった
を忘却の理由としてあげている。
スペイン風邪で死亡した著名人は、
- 作家…島村抱月(愛人で人気女優の松井須磨子が後追い自殺)
- 画家…関根正二、村山槐多
- 建築家…辰野金吾
政府に対する批判
「盗人を見てから縄をなうというような日本人の便宜主義がこういう場合にも目につきます。政府はなぜいち早くこの危険を防止するために大呉服店、学校、興業物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか。」(与謝野晶子)
コメント