加藤典洋「人類が永遠に続くのではないとしたら」

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先日、文芸評論家の加藤典洋氏が亡くなった。
訃報を聞いて本棚から引っ張り出してきた、2014年に出版された一冊。

技術の進歩により無限に続くと思われた産業社会の成長。
しかし3.11の原発事故により、未来への信頼が失われたように感じた。

それはなぜなのか?

以下のような先行する人々の著作を縦横無尽に引用しながら、
自らの思考をまとめていく過程を綴っていく形になっている。

  • ウルリッヒ・ベック「危険社会」
  • ハンナ・アレント「人間の条件」
  • ハイデガー「技術への問い」
  • ニクラス・ルーマン「社会システム理論」
  • タイラー・コーエン「大停滞」
  • 見田宗介「現代社会の理論」
  • 柄谷行人「世界史の構造」
  • 水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」

本書を起点に引用された書物を読んでいるうちに、
結局、読書の指針となったこの一冊を紹介する機会がなかった。

後半のまとめ的な部分を紹介しておくと、

「地球の有限性がやってきて、私たちの生きている世界がいまや無尽蔵な包容力を失いかけていることがわかった。母なる自然は、もう許容限界のリミットに来ており、経済の世界でも、産業の世界でも、資源も環境も、これ以上はサポート「できない」ことが誰の目にも明らかになった。しかも、それはただ外からやってくるだけではなかった。巨大技術が過酷事故をもたらし、次には金融資本主義の暴走とその破綻があり、大量消費、大量廃棄の産業を駆動してきた資本主義の行く末について黄信号がともった。共産主義思想による問題解決が遠のいたあとで、自由主義をチェックするものがなくなり、自由主義、民主主義に対しても、その独善化、空洞化の兆しが強まった。簡単にいえば、近代の指南してきた「できること」のすじみちが危うく感じられるようになった。」P371

「いつのまにか、私たちは人類は有限であるという感覚を、受けとり、身につけはじめているのではないか。そしてそれは偶然でも何でもなく、私たちが「欲望」と「力能」とから距離をもてるようになったことと鋭く連関しており、それをもたらしたものが、私たちのさまざまな「できないこと」との出会いと向き合いなのではないか。」P378

ゆえに「人類が永遠に続くのではないとしたら」なのである。

そうだとしたら、私たちは未来に向けてどのような価値観をつくるべきか?
亡き著者の博覧強記に導かれ、広い視野で世界を見つめられるようになりたい。

人類が永遠に続くのではないとしたら
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