茶道史を知りたくなったら、熊倉功夫の本がいい。
今回たまたま巡り逢った「近代数寄者の茶の湯」は、
明治・大正時代の実業家・茶人の高橋箒庵(義雄)を中心に、
彼と交流のあった
- 益田克徳(東京海上火災の創始者)
- 原富太郎(生糸貿易の富豪・三渓園)
- 小林一三(阪急グループ創始者)
- 根津嘉一郎(鉄道王・根津美術館)
など財界の大物と茶道との関わりが描かれている。
当時は三井財閥系を中心に茶会ネットワークが形成されていて、
茶会の主客からつながりを読み解く、という研究もあるほど。
明治維新以降、茶器の価格はいったん大暴落した後、
こうした数寄者の登場で、数十年で100~1,000倍の値に!
真の利益をもたらすのは数寄の心なのかもしれない。
ちなみに「数寄」を最初に定義づけしたのは鴨長明だろうか。
「数寄というは、人の交はりを好まず、身のしづめるをも愁へず、花の咲き散るをあはれみ、月の出入りを思ふにつけて、常に心を澄まして、世の濁りに染まぬを事とすれば、おのづから生滅のことわりも顕はれ、名利の余執つきぬべし。」
(人との交わりを求めず、落ちぶれようと愁うことなく、花や月に心を寄せ、常に澄んだ心をもって、世俗にとらわれない生き方を「数寄」という。そうすれば世の無常を理解し、名声や利益への執着から解放されるだろう。/鴨長明「発心集」)
この時代の茶会の盛り上がりは安土・桃山時代以来だけど、
下克上と成金が現れる激動の時代に茶道という共通点。
品格を身につけ、心を整えるために必要とされたのかな。
「日本の美術品は西洋の美術品と決定的にちがう。日本のそれは「道具」であって使い勝手によって価値が生じるのであり、単なる観賞用の西洋美術とは性格が異なる。」P6
冒頭で著者がこんな指摘をしているけど、
近代数寄者の収集品も現在では美術館に収まっている。
日本の美術は人の手で動かしてこそ命が宿るものなのに…。
生活から生まれた芸術なのか、芸術から生まれた生活なのか。
そのへんがあいまいな日本文化の特殊性ゆえの苦悩だね。
コメント
まろさんのブログを見て、「日本の美術品は西洋の美術品と決定的にちがう。日本のそれは「道具」であって使い勝手によって価値が生じるのであり、単なる観賞用の西洋美術とは性格が異なる。」
という部分に我が意を得たり・・・と感じ、「近代数奇者の茶の湯」を早速買って読みました。
生活の中にあって、床の間という空間になくてはならない道具としての絵画・美術品。 季節を感じ、楽しむ、・・・道具に生きる洗練された美意識。
生活を豊かにする芸術、芸術によって豊かになる心、そんな日本の美しい形があったはずです。
現代に生きる画家として、茶道に親しみ数寄者をめざしている者として、責任を感じ、もがき続けています。
「現代に生きる画家として、茶道に親しみ数寄者をめざしている者として」
ムムムです。メールします。