慈円(1155~1225)は平安末期~鎌倉初期を生きた、
当時の仏教界最高の地位(天台座主)にいた人物。
おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染めの袖
たとえ理想と笑われても、私はすべての人を優しく包み込みたい。
最高僧としての想いが伝わる和歌が百人一首に残されている。
また徒然草226段には、
「慈鎮和尚、一芸ある者をば、下部までも召し置きて…」
一芸がある者であれば、身分に関係なく面倒を見た人物と評され、
いつも辛口な兼好法師が慈円を讃えている。
でも日本の歴史を語るとき、なぜか慈円はあまり目立たない。
同時代、和歌と言えば西行だし(慈円にとって憧れの歌人)、
鎌倉仏教の攻勢で、天台宗は影が薄くなっちゃうのかな。
とはいえ慈円が残した「愚管抄」は異彩を放つ歴史書。
神武天皇以降の日本の歴史を編集しながら、
移りゆく世の背景にある「道理」を明らかにしようと試みる。
「保元元年、日本国はじまって以来の反乱とも言うべき事件(保元の乱)が起こって、それ以後は武者の世になってしまったのである。今書いているこの書物はこのことが起こるに至った経過とその理由を明らかにすることを第一の眼目としている。」P221
日本の古典は「美の面影を宿した心」が主題であることが多く、
「愚管抄」のように何かを論理的に追求した書物はとても少ない。
そして歴史の「陰」の側面に光をあてている点も興味深い。
「物ごとの背後には、目に見えない冥の道と目で見ることのできる顕の道という二つの筋道があり、また邪神と善神の御争いというものがあって、それらが表にあらわれたり、内にこもったりしているのが明確にわかってくる。」P394
「冥」と「顕」のせめぎ合いの中で歴史が生まれると説く。
たとえば、菅原道真は後の世のために「冥」を担った神であり、
「顕」なる存在である摂関家・藤原氏を支えたと定義している。
「昔から怨霊というものが世を乱し人を滅ぼすということもあるが、それも世の中の一つの道理をなしているのであるから、今は、人は何においてもまず神仏に祈られるのがよいと思うのである。」P397
怨霊の存在にも「道理」を見出し、史実を語る点も変わってる。
自らの存在価値を悪霊退散にも見出していたのかな。
藤原摂関家に生まれ(父は忠通)、仏門の頂点にいた人物の歴史観。
慈円の「愚管抄」はぜひ読んでおきたい日本の古典だ。
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