ペロポネソス戦争下のアテネを襲った疫病/トゥキュディデス「歴史」

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ペロポネソス戦争(前431年~404年)を描いたトゥキュディデス「歴史」。

この戦史において、今だからこそ注目したい部分が、
アテネとスパルタとの戦いの転換点となった、アテネでのパンデミック。

アテネを襲ったパンデミック

アテネの将軍ペリクレスはスパルタを迎え撃つにあたり、
市民を城壁内に籠城させて陸上戦を避け、
自慢の海軍力を用いて、海上からスパルタを攻撃する作戦をとった。

しかし城壁内がいわゆる「密」の状況となったところに、
パンデミックがアテネを襲い、前429年までに人口の3分の1が死亡

城壁外の田園部から避難した市民の家は、開戦直後だったこともあり、
急造の雨風をしのげる程度で、ほとんど難民状態で環境も悪かった。

この疫病にはトゥキュディデス自身も感染したことから、
詳しい症状の描写(2巻49)が残されているが、今日の何病なのかは不明。

外部では土地を荒らされ、内部では人々が疫病に次々と倒れたことで、
アテネの人々の心に与えた影響は大きく、前代未聞の無法状態となる。

「崇高と思われる目的のために苦難の道を歩むことには、誰も熱意を示さなくなった。それに到達する前に生命を失っているかも知れぬと考えたからである。即座に甘美なもの、何であれ快楽に寄与するもの、これこそが高貴にして有益なものと定まってしまった。神々への畏敬も人間社会の法律も、いずれも人々を抑制できなかった。」(2巻53)

そしてアテネ内部にスパルタと和平を結ぼうとする動きも出始め、
これを抑えるために、将軍ペリクレスは集会を招集、演説をする。

ペリクレスの名演説

ちなみにこの演説は一国の指導者が国民に犠牲を強いなければならないとき、
国民に対していかに語りかけるべきか、そのお手本の演説
とされてきた。

いくつか印象的な一節を引用しておくと、

「私の考えでは、ポリスというものは、全体として良い状態にあれば、個々の市民が幸運でありながら全体としては悪い状態にある場合よりも、個人に対して遥かに多くの利益を与えるものである。人間は自分自身では栄えていても、祖国が滅亡すれば一緒に滅びるのに対して、幸運な祖国の中で不運な立場にある場合には、遥かに容易に危険を免れることができるのである。かくしてポリスは私人の災難を背負うことはできるが、個人は一人だけではポリスの災難を背負いえない以上、ポリスを防衛するのは全員の義務ではないか。」(2巻60-2~4)

個々人に自粛を求め、団結を訴えるのは今に通ずるものがある。

「このポリスが全人類の中で最大の名声を博しているのは、災難に屈せず、戦争では最大の労苦を費やしたがゆえであることを。そして吾々が今この時に盛者必衰の理によって敗れることがあったとしても、この偉大な国力の記憶は永久に後世に伝えられているであろう。」(2巻64-2~3)

「しかし最高の目的のために反感を買う人は、高貴な志を抱いているのである。憎悪は長くは続かないのに対して、瞬時の栄光は後世へも永久に記憶さるべき名声として遺されるからである。それゆえ諸君は未来に対しては来るべき栄光を予知し、当面のことに対しては避けるべき恥辱を弁えて、決然たる熱意により両方を獲得すべきである。」(2巻64-5)

格調高い演説で市民を奮い立たせようとしたペリクレスだったが、
彼自身も疫病に感染、前429年にこの世を去る。

指導者を失ったアテネは主戦派と和平派がひとつにまとまらず迷走。
戦いの泥沼化に歯止めがかからず、最終的にスパルタに敗れることになる。

こういう歴史の事例に目が留まるのは今ならではだと思う。
そして古典は自分が強く共感できる局面で読まなければ意味がない。
トゥキュディデス「歴史」を通読せずとも、
この疫病前後の記述はぜひとも今、読んでおきたい。

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