日本のクリスマス騒ぎは国を守るための祭り?

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今がシーズンということでクリスマス関連の本を手に取った。

序章のこの一節が気になり、一気に読んだ。

「キリスト教を背景にした西洋文明は、自分たちと同じルールで動く社会しか認めようとしない。そして自分たちが善であることは疑うことのない前提となっている。あきらかに狂信的な暴力集団であり、立ち向かうと善意によって滅ぼされる。キリスト教は、信じないものにとっては、ずっと暴力であった。そういう厄介なものはどう取り扱えばいいのか。それは日本のクリスマスに答えがある。」

近年の調査でイエズス会の書簡から

  • イエズス会が日本征服を計画して、スペイン本国に派兵を要請していた。
  • 日本征服は無理でも九州のキリシタンを先兵に明国を征服する。

といった陰謀が明らかになっており、
戦国末期から江戸時代のキリスト教弾圧は国を守る手段だった。

キリスト教を認めない姿勢は明治政府にも引き継がれたが、
開国後の西洋列強に追いつくために休日は合わせた。
キリスト教国が日曜日に休むのはキリストが復活した日だから。

宗教的な内容は拒絶するが文化としてのキリスト教は受け入れる。
その象徴がクリスマスだった。

「日本のクリスマス受容の動きは「西洋文化を取り入れつつも日本らしさを保とうとする努力の歴史」であり、日本人が世界を相手に生き抜く知恵だとみることができる。」

クリスマスが行事として定着するのは日露戦争後から。
クリスマス関連の新聞広告が目立ちはじめる。
(1907年にはクリスマスプレゼントの三越の広告が掲載される)

日露戦争に勝利したことで西洋文化コンプレックスが軽減。
キリストも八百万の神のひとつとして飲み込んで、
クリスマスも日本の祭礼と同じように騒ぐ場となった。

1928〜36年と1948〜57年のクリスマスは、イヴに夜通し踊り抜くといった、
ひんしゅくを買うような乱痴気騒ぎの破壊的狂乱の状態だった。
この破壊性は1980年代に無意味に金を使うという形で復活する。
その後バブル崩壊を経て沈静化。

「クリスマスで騒がなくなったのは、社会が成熟したからではない。社会が平穏なのだ。「まもなく緊張が高まりそう」と変動を予感したときに、われわれの社会はクリスマスで大騒ぎをする。いまは、社会が変転しないと感じているのだ。平和である。でも、つまらない。そういう社会だ。」

ただし2009年以降はハロウィンがクリスマスに取って代わる。
クリスマスから恋愛要素を引き離した新たな騒ぎの場となった。

そしてバレンタイン、クリスマス、ハロウィンといった西洋文化は、
借り物だから本質から切り離して、無意味に大騒ぎをする。
こうした日本人の傾向は西洋文化を受け入れているという見せかけで、
かたくなに日本的なものを守ろうとする姿勢
では?と著者は指摘する。

ちなみに世の中の変わり目と大騒ぎのくだりにはクリスマス以外にも、

  • 一遍の時宗(モンゴル襲来のさなかに踊り念仏。その後、鎌倉幕府が崩壊。)
  • ええじゃないか(大政奉還の直前に発生。全国で民衆が踊り狂う。)

というような例が思い当たる。

著者の着想と本書の歴史分析が少しズレているように感じたが、
日本の輸入文化の取り扱い方をどう見るか?
新たな視点を与えてくれる一冊だった。

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