小榑雅章「闘う商人 中内功 ダイエーは何を目指したのか」

この記事は約3分で読めます。

ダイエーは生活圏になく、高校生の頃には経営不振に陥っていたため、
次のような貧弱な知識しか持っていなかった。

  • 東横線に乗ると都立大と学芸大の間でゴルフ練習場の向こう側に見えた店。
  • Jリーグ・ヴィッセル神戸の元メインスポンサー。福岡の野球も。
  • 売上高拡大のみを経営指標として散った、バブルを象徴する企業。

だから小榑さんに先週発売の著書をいただいて初めてダイエー盛衰の経緯を知った。

NHKで「暮しの手帖」をモチーフにした朝ドラが放送されて以降、
花森安治さんの語り手として小榑さんをご存知の方も多いかもしれない。
花森さんの死後しばらく経った1984年にダイエーに籍を移し、
創業者の中内功氏の側近として公私に渡って仕えた、というのが簡単な経歴。

ダイエーの理念と功績

庶民の生活向上のために「良い品をどんどん安く売る」というダイエーの理念は、
中内氏が戦地で「すき焼きでお腹いっぱい白いご飯を食べたい」と感じたことが原点。

また1957年に設立したダイエーが急成長した時代は、
高度経済成長のひずみにより、品質の悪い商品が出回っていた時代にあたる。
商品テストで名高い「暮しの手帖」からダイエーに移った小榑さんの目から見ても、
ダイエーの品質検査はレベルの高いものだったという。

日本で顧客満足度の向上が説かれるようになったのは、
バブル崩壊後の1990年代以降だったように思う。
それまでは同業他社との競争に勝てば、顧客満足は後から付いてくる、
というような認識が一般的だったのではないだろうか。

そう考えると当時のダイエーは先進的な企業だったのだ。

ダイエーの成功と失敗

ダイエー成功の原点は1962年にオープンした三宮店にあるという。
当時は別々だった

  • 普段使いの食料品中心のスーパーマーケット
  • ハレの日に訪れる百貨店

この2つを合体させ、駅近のこの店を訪れれば、
日常生活に必要なものがすべて揃う店舗をデザインした。

だが今になって振り返れば、1980年代から外部環境に変化が起きており、
強みであった店舗形態すなわちビジネスモデルの限界が訪れていた。

  • 1980年代後半から90年代前半にかけて家電量販店などの専門店が登場。品揃えで敵わなくなり始めていた。
  • 1990年以降は軽自動車が急増により、主婦も車を運転するようになり、駅近立地の優位性が失われた。
  • メイン顧客だった結婚子育て世代が1980年代後半から減少していた。

しかし当時は業績に生じていた異変を商品力の問題と捉え、
M&A等で規模を追求することで、価格決定権を握ることに注力した。

そしてこの戦略のために負債が膨らんでいたところにバブル崩壊。
消費行動も安ければ買う時代から、必要なものを選んで買う時代へ変わり、
さらには本拠地をおく神戸が阪神大震災に襲われる。

抜本的な改革に着手しなければ会社がもたない。
そんな雰囲気が社内に蔓延しはじめたが、誰も中内氏を止められない。
ならば自分がと小榑さんは中内氏に引退を進言するのだが…。

中内氏に諫言をするときは、口頭では伝えきれないからと、
後から手紙を送る習慣があり、そのコピーを手元に残していたため、
当時のやりとりが克明につづられている。

企業の成功事例から学べることは少ない。再現性が乏しいから。
成功が多様な一方で、失敗の形は不思議と似通っていることが多い。
よって書籍から経営について教訓を得たいなら本書のような内容が最適だ。

また私のようにバブルの頃は子供だったか、生まれていない世代にとっては、
日本の経済史を学ぶことのできる一冊と言えるだろう。

闘う商人 中内功――ダイエーは何を目指したのか
岩波書店
¥1,980(2024/03/29 07:44時点)

コメント