書道をはじめたなら、その文化史も追求する!
先生に嫌がられるぐらいがちょうど良い(笑)
書家の講義録を本にしたものを読んでみた。
読中に書いた記事もすでにあるけど、
このほかにおもしろかった話を2つメモメモ。
東アジアの「書」と西欧の「音楽」
著者は東西の文字の文化史を考える際には、
文字を比較するだけでは本質は見えないと説き、
「東アジアの言語は書字中心の言語です。それに対して西欧の言語を支える文字・アルファベットは発音記号のような音写文字ですから、西欧の言語は音声中心になります。音声中心、声中心の言語である西欧語は、その声の延長線上の、あるいはその声を成立させるための音楽がつねに同伴し、発達することになりました。東アジアでは、文字あるいは書くことが言葉の根本にありますから、書を発達させることになったのです。」P195
つまり文字から東西文化を読み解くには、
- 東アジアの「書」
- 西欧の「音楽」
という対応関係で考える必要があるってこと。
たとえば「神との対話」で東西文化を捉えると、
- 東アジアの原点は「甲骨文字」
- 西欧は教会の「賛美歌」
が対応関係になるのだろうか。
縦書きに込められた想い
縦書きで右から左へ業が進むという書き方は、
さっき書いた文字で手が汚れる不合理な方法。
私たちはなぜこんな面倒なことをしているのか?
「行が右から左へ進むことは、書き終えた箇所が右手に隠れることになります。そうなると、未知なる余白に向かってつねに自己を投企することになります。つまり左に進むことで、つねに新しい世界に向かって身を投げ出していくことが可能になったのです。」P301
ということは新たな発想を生み出すときのメモは、
縦書きの方が効率的なのかもしれない。
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