極楽浄土が注目されたのはなぜ?/源信「往生要集」

浄土は複数だが、特に注目された極楽浄土。

仏教の浄土は本来、八方位+上下二方位の十方位に存在する。
たとえば東西南北の浄土とそこに住む仏様は、

  • 北…弥勒菩薩(兜率天浄土)
  • 南…釈迦如来(霊鷲山浄土)
  • 西…阿弥陀如来(極楽浄土)
  • 東…薬師如来(瑠璃光浄土)

このようにいろいろな方角に仏様はいるはずなのだが、
浄土信仰が急速に広がった平安時代には、極楽浄土が特に注目される。
それは一体なぜか?

往生要集とその時代

浄土信仰ブーム発火点とされる古典「往生要集」。

最近、読みやすい現代語訳が講談社学術文庫から出版されたので、
これを読めば何かヒントが得られるのでは?と探ってみた。

この往生要集は、天台宗出身の恵心僧都源信が985年に著し、
浄土にいたるための念仏の方法論を示したマニュアルとして普及。

さらに慶滋保胤が「往生要集」に示された思想を実践する
念仏結社「二十五三昧会」を結成し(986年)、教化に努めたことで、
貴族の間に浄土信仰が広がっていったとされる。

死期を悟った藤原道長(966~1028年)が、
九体の阿弥陀如来の手と自分の手とを五色の紐で結んで、
浄土を願いながら往生したというエピソードも有名だ。
※ここでもやはり極楽浄土の阿弥陀如来

往生要集が説く阿弥陀信仰の根拠

往生要集の第三章において、
「なぜ極楽浄土なのか?」を問答形式で論じている部分がある。

結論から言ってしまうと、
昔のお偉いさんがそう言ったから迷わず信じなさい
というかなり拍子抜けな話なのだが…。

まず天台宗の祖、天台大師智顗(ちぎ、538~597年)が残した経・論に、
ひたすら阿弥陀仏を念じて、西方の極楽世界を求めよと説いたのがはじまり。
たくさんの経・論の名称がズラズラと並べられている。

仏陀が「諸仏それぞれの浄土に差別がない」と言っているのに、
どうして極楽浄土だけが讃えられるのか?という問いには…

人々の心を一方に集中させる必要からであり、
そのような疑念を抱かず、ただ先人の教えを信じればよいと説く。

これは調べても絶対に答えの出ないやつだ…

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