今に集中して心を解き放て!/平井正修「忘れる力」

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禅にまつわる古典でしきりに訴えられる、
「無」になること「捨てる」ことの大切さ。

その代表例を示すなら、

道元「正法眼蔵」

「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」(現成公案)

「而今の山水は古仏の現成なり。ともに法位に住して、究尽の功徳を成ぜり。空劫已前の消息なるがゆえに、而今の活計なり。朕兆未萌の自己なるがゆえに、現成の透脱なり。」(山水経)

自己を捨て、無心・無欲になるためには、

  • 自分や他人の心身を所有するという考えを捨てよ(身心脱落)
  • 主観・客観に仕分けする以前(朕兆未萌)の自己を捉えよ

過去・現在・未来が凝縮した今(而今)を感じることができるだろう。

平井正修「忘れる力」

古典を読むだけでは、なんだかモヤっとしてしまう。
だが現代の禅僧が分かりやすく説いた本をセットで読めば少しだけ本質に近づける。

「そもそも生きることそのものが「生」に固執しているといえる。生きること、食べることを止めてしまったら、人間は生きていられない。これらの執着は人間の本能的な欲求で、厳密にいえば忘れ去ることはできないものである。」

「何かを未来に向かって求め続けるのが人生。人は生きていく上で欲をゼロにすることは決してできない。」

しかし追い求めたところで、思い通りにいかないことがほとんどで、
そこに苦しみが生まれ、その代表例が「四苦八苦」だ。

根本的な苦しみである「生・老・病・死」の四苦に、
次の4つの苦しみを加えて、八苦と呼ぶ。

  • 愛別離苦(あいべつりく)… どんなに愛する人とも必ず別れがやってくる
  • 怨憎会苦(おんぞうえく)… 嫌な人や憎たらしい人にも会わないといけない
  • 求不得苦(ぐふとくく) … 求めても思い通りに得られない
  • 五陰盛苦(ごおんじょうく) …体や感情、感覚、思い出などにとらわれる

求めるからこそ苦しみが生まれる。
では求めることをやめることはできるのだろか?

「結局、人は求め続けるものだとあきらめるしかないのだ。」

だから大切になのが「忘れる力」。

忘れようとすればするほど思い出してしまうものだから、

「過去は過去として放っておく。忘れられる日が来るまで自然に任せておく、というのも1つの解決法なのである。」

また禅の世界で今を見つめることの大切さが説かれるのは、
それが究極の「忘れる」状態だから。

「まずこだわっている自分がいると知り、今に集中することで過去も未来も忘れられたら、それこそが人にとって幸せな姿なのだ。」

これを頭に入れた上で道元に戻ると、より理解が深まりそうだ。

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