いつも心に風流を/菜根譚・後集4,83,132

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初めて中国の古典を読むなら、孔子や老子よりも、
菜根譚(さいこんたん)」が読みやすいのではないかと思う。

菜根譚は中国・明代末期に洪自誠によって書かれた随筆集。

儒教・仏教・道教の三大思想を踏まえた中国の人生訓の集大成とも称されるが、
本国では忘れ去られ、江戸時代以降の日本で読まれ続けたという不思議な一冊。

これまでも何度か編集してきたが、
今回読み直してみて、いいなぁと思った部分をまとめてみた。

いつも心に風流を(後集4)

歳月は、もとより長くして、忙しき者は自ら促る。
天地は、もとより寛にして、いやしき者は自ら狭し。
風花雪月は、もとより間にして、労攘の者は自ら冗なりとす。

忙しければ、悠久なはずの時の流れを短く感じてしまう。
心の卑しければ、広大な天地を狭く感じてしまう。
風流が分からなければ、のびやかな四季の変化も煩わしく感じてしまう。

すべては受け取る人の心次第で変わるもの。
どうすれば、あくせくせずに四季の変化を楽しむことができるのか?

ありのままに生きる(後集83)

意の偶会する所、すなわち佳境を成し、物は天然に出でて、わずかに真機を見る。
もし一分の調停布置を加うれば、趣味すなわ減ず。
白氏云う、「意は無事に随って適い、風は自然を逐うて清し」。
味わい有るかな、其の之を言うや。

自分の想いと現実が偶然出会う場所こそが最高の境地。
それは自然のままに生きているからこそたどり着ける場所だ。
白楽天の漢詩にも、味わい深い言葉を見いだすことができる。

意随無事適
風逐自然清

心は感情が動かない状態が最も良く、
風は自然に吹く時が最もさわやかに感じられるものだと。

引用されている白楽天の詩が涼やかだ。
荘子の「」の思想に似ているだろうか。

世間では夢や目標に向かって進む生き方が美徳とされる。
そんな世の中では成り行きに任せる生き方は下に見られがち。

しかしありのままに生きることほど難しいことはない。
心は広く、楽観的で、こだわりを捨てた上で、
世間との矛盾や問題が起きないような配慮まで必要なのだから。

最後にありのままに生きるために必要な姿勢は何か?

引き算の美学(後集132)

人生は、一分を減省すれば、すなわち一分を超脱す。
もし交遊を減ずれば、すなわち紛擾ふんじょうを免れ、言語を減ずれば、すなわち愆尤寡し。
思慮を減ずれば、すなわち精神を耗せず、聡明を減ずれば、すなわち混沌完うす。
彼の日に減げんずるを求もとめずして、日に増すことを求むる者は、真にこの生を桎梏するかな。

何事においても一分減らすと、その分世俗から逃れることができる。
交友関係や口数を減らせば、もめごとは減る。
思慮や聡明さを減らせば、精神の疲れもなく、本来の心に近づくことができる。
日々何かを増やそうとするなら、自ら人生を束縛しているようなものだ。

ネットを通じて様々な価値観に触れられる現代社会において、
情報の取捨選択の技術が大切な能力のひとつにあげられるようになった。

しかし自らに基準や美学がなければ切り捨てることはできない。
文化・芸能の分野で言われる「守破離」の段階を踏むことが大切だ。
既存の型を守り、型を破って外に出て、型を離れて新たな型を生む。

つまり20代のうちは手当たり次第に学び、30代になったらそれを整理し、
30代後半からようやく不要なものが見え始めるのではないだろうか。

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