オランダ・東インド会社のアジア支配に浪人武士が活躍/藤木久志「雑兵たちの戦場」

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先日読んだ、平川新戦国日本と大航海時代では、
秀吉の朝鮮出兵が領土拡大への見果てぬ夢ではなく、
列強の植民地政策への対抗手段だったことを学んだ。

朝鮮出兵は失敗したものの、その軍事力を目の当たりにした宣教師たちが、
書簡の中で日本を「帝国」と称するようになり、
また秀吉の後を継いだ家康には本国の王と同等の「皇帝」の敬称を用い、
日本を征服の対象ではなく対等な国とみなすようになる変化をもらたした。

今回読んだ、藤木久志雑兵たちの戦場の中では、
スペインのマニラ総督が国王に宛てた軍事報告(1599年)が興味深い。

「征韓役に従事せし日本兵数十万人は、いまや無為にして貧困である。中には黄金に対する欲望のため、かねがね彼らが垂涎している、本島(ルソン島)に侵入せんと企てる者もある。」

朝鮮征服は失敗したものの、フィリピンに日本が攻め込んで来るのでは?
と恐れられていたことが分かる。

また江戸幕府が開かれたあたりからは、
オランダが東南アジアからスペイン・ポルトガルの勢力を排除するために、
日本人傭兵と日本製の鉄砲などの軍需物資に頼っていたことが分かる。

オランダ船の司令官がタイ総督に宛てた報告(1612年)

  1. 我々はいま良く訓練された日本人を使っている。その給与は低く、安い食費で養われている。
  2. 総督の指令通り、300人もの日本人を送るには、多くの食糧がいる。だからとりあえず68人を送る。
  3. 家康は必要なだけ日本人を海外に送ることに同意した。日本人傭兵はいつでも手に入る。

この時点では幕府に不満を持つ浪人は海外に出て行かせた方がよかった。
しかし大坂の陣(1615年)で豊臣家が滅亡したことで、
国外の戦争に巻き込まれることを危惧し、傭兵・武器輸出の禁止令を出す。

これを受けたオランダのインド総督の反応(1621年)

  1. 日本人傭兵なしではとうてい東南アジアの戦争を戦えぬ。将軍から再び日本人連れだしの特権を得るよう、あらゆる手を尽くせ。
  2. 日本からわが城塞や艦船、およびインドの戦争に要する軍需品を十分に供給できなければ、戦況に深刻な影響を受ける。これ以上、日本貿易が制約されないよう、将軍に請願を重ねよ。

このあたりの世界史の中の日本については、
そういえば山田長政とかいたなぁ程度だったから興味深い。

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